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カテゴリ:科学・言語

 つらつらと考えるに、現代の科学・技術は非常に発展していて、そのため一般の人間にはなかなか理解しにくいところがある。たとえば、相対性理論による 「浦島効果」 だとか、量子力学による測定結果に対する測定の影響だとかいう話になると、われわれ一般の人間にはまったくちんぷんかんぷんである。

 たとえば、私はいまこうやってキーボードをカシャカシャ叩いているわけだが、それがなぜ漢字だのひらがなだのといった文字となってモニター画面に現れ、さらにはブログ記事として表示され、多くの人々の目に留まることになるのか、正直言ってまったく分からない。

 技術というもののよいところは、そのように、技術の基盤となっている科学的な原理というものが全然分からなくても、とりあえず使い方さえ覚えれば、だれにでも同じように使えるというところにある。そういうわけで、一般大衆の皆さんは、「なんでだろー、なんでだろー」 などと、難しいことに頭を悩ませる必要もなしに、日々ケータイやパソコンを操作し、テレビやビデオのリモコンを操作しているわけである。

 これはむろん、ありがたい道具を発明し、難しい原理など分からない科学音痴の一般の人間にも使えるように工夫していただいた、科学者や技術者のおかげなのであるから、深く感謝しなければならないことである。

 このような現象には、だいぶ昔に女権拡張論者の顰蹙を買ったCMの言葉をちょっと借りれば、「あなた作る人・わたし使う人」 といった、非対称的な関係がある。極端な話をすれば、多少知能が発達し、おまけに手先が器用なチンパンジーとかであれば、テレビのリモコンを操作して、見たい番組に切り替えるぐらいのことはじゅうぶんに可能なのである。

 ところで、なんでも世の中には、「水からの伝言」 というお話があるそうである。この話を学校でとくとくと生徒にし、それってちょっと問題ありじゃねー、と父兄とかから指摘されると、「科学的に証明されてはいません」 という断りをつけて、謝罪をしたつもりの教師もいるという話である。

 おいおい、ちょっと待てよ。それってどこかおかしくないかい。科学って、いちいちそんなことまで実験して、ありうるかありえないか、証明しなくちゃいけないのかい。

 言うまでもないことだが、音声としての人間の言葉にしても、文字にしても、それ自体に意味なんかあるはずはない。水の結晶が人間の言葉の意味に反応するというのなら、少なくとも水には、人間が発した音声を単なる空気の振動としてではなく、日本語という言語規範にもとづいた表現として理解するという能力がなければならない。

 たとえば惑星ソラリスの海ならば、人間の思念を探り出し、それに合わせた形象を作り出すことができるのかもしれない。ソラリスの海がどのような化学的組成でできているのかは知らないが、それと同じようなことが、水素と酸素という単純な原子が2対1で結合したにすぎない、ただの水に可能なのだろうか。

 ようするに、こういう問題は、そもそも科学的に証明されているとか、いないとかいう以前の問題なのであり、それこそありえない話なのである。そこのところで、「科学的には証明されていません」 なんて断り書きをつけるのは、それこそ、問題のありかをぜんぜん理解していないことを示した、二度びっくりのおかしな話というべきだろう。

 なにも、科学が万能だのといったことが言いたいわけではない。だが、そういうことを言っている人を見ると、なんじゃらほいという感じがしてならない。そもそも、「水伝」 の話など、相対性理論だの量子力学だのといった超難解な話でもない。そんなことがありえるかどうかなんてことは、いちいち科学的な実験などする必要もないことだし、世の中の科学者の皆さんだって、そんな仮説の検証をするほどひまでもないだろう。

 思いっきり文系の人間が口を出すのもなんであるが、科学的な仮説というものは、いくら仮説だからといっても、なんでもありというわけではないだろう。世の中の2つの現象をテキトーに取り出して、その関係をいちいち実験で検証しなければ、ありうるか、ありえないか、なにも論じられないというのなら、そもそも人間の論理的で抽象的な思考能力など、いらないというのと同じである。

 近代科学の成立というと、たとえばベーコンによる 「帰納法論理」 であるとか、ガリレオによる実験の利用だとかいったことがあげられる。たしかに、そうだろうが、そのような 「科学的手法」 だとて、ある日突然に成立したわけではない。

 その基盤には、長い歴史の中で鍛えられてきた哲学や論理学というものがある。科学的方法論というのも、そのような思考を基盤にしているのだから、ただの思い付きではない、科学的仮説というならば、最低限の論理的な可能性ぐらいは、備えていなければなるまい。

 これはどうも、しばしば、科学の方法論というものが、2つの現象を比較して、その間の 「関数的関係」 を探るという、中身抜きの機能主義に切り縮められ、その結果、「仮説」 とその 「検証」 という形式的な手続き論のみが科学であるかのように矮小化されて、理解されていることにも原因があるように思える。

 現代の技術には、 「原因」 と 「結果」 をつなぐ連鎖があまりに複雑になりすぎたためか、素人にとっては、中身の見えないブラックボックス化しているところがある。

 かつて、ナチの暴力を目の当たりにしたアドルノとホルクハイマーは、文明が野蛮に退行するという現象を 「啓蒙の弁証法」 という言葉で表現したが、いまや大部分の現代人にとって、科学技術というものは、なにやら昔の人が畏怖すると同時に、憧れもした、呪文を唱えさえすればなんでもかなうという、 「魔術」 と大差ないものに退行しているのかもしれない。






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Last updated  2008.06.01 01:00:20
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実はこの主題を『マルクス主義のバランスしーと』   三介 さん
塩沢由典氏と藤田省三氏が (2008.01.05 09:51:16)

Re:実はこの主題を『マルクス主義のバランスしーと』(01/05)   かつ7416 さん
三介さん
>塩沢由典氏と藤田省三氏が
-----
ん? 続きは? (2008.01.05 10:16:35)

ありゃ、飛んで行ってしもた。   三介 さん
失礼しました。で、
感情の方をやたらと藤田氏が云々するので、塩沢氏はやや『閉口』気味なんですけど、この手の『エセ科学』の氾濫に藤田は関心を寄せていたと言えそうです。昨日時間が出来たので吉野に行きましたけど、『脳天〇〇』っていう神社があることに初めて気付きました。知り合いの公務員の奥様が「私等あそこに『頭抜いて』貰いに行くねん」と、のたまわっていたのが此処かいなと思い出しました。世界遺産「金峯山寺」
http://www.nanwa.or.jp/sekaiisan/
っていうのが吉野山の山頂=特等席に鎮座していて、その奥に「え?」と思うような「妖しげな神社」。これを「いかさま宗教の儲け主義」と吐き捨てているだけでは、「精神を把握できない」っていうのが藤田氏の云わんとしたところでしょうね。「頭を抜く」っていうのは「激変期」に多く顕われる「精神疾患」への古来からの「シャーマン的な療法」なんだと思います。親族・師弟間の裏切り、育てられぬ新生児(水子)を「あの世への返還」せざるを得ぬ事への悔悟・恐怖等々、ありとあらゆる「絶望」に対する心理療法として、多くの術が宗教的に編み出されてきた。そのことに対する「畏敬」を共有する者らこそが、此処の信仰を支え続けているんだろうと思います。もっといえば、役の行者が開山した時には、山頂には別の(現在その周辺に配置され直したであろう)神社が山頂にあったのでは? 天武天皇の時か後醍醐天皇の時かまたは別の時か、そのいずれの時もかは、ともかく最高の(位を目指す)貴賓を迎えるべく・・。それはその当時の権力への反乱者(革命勢力への支持)となることであり、多くの「矛盾」を伴うことであったと予測できます。「狂い」もまた最大級・・。ここらが塩沢氏にはてんで分からなかった・・。 (2008.01.05 10:20:20)

Re:ありゃ、飛んで行ってしもた。(01/05)   かつ7416 さん
三介さん
たぶん歴史上の優れた宗教者がやっていたことというのは、現代のカウンセラーがやるようなこととそう違わないのだろうと思います。
なので、共感性の高い人なら一種の「超能力」に近いものを発揮することもあるのだとは思いますよ。 (2008.01.05 10:36:12)

ニセ科学   シカゴ・ブルース さん
かつさん、こんにちは。

「水伝」ですか。困ったものですね。
これについては、田崎晴明さんの『「水からの伝言」を信じないでください』↓がよくまとまっています。
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/
また似非科学の蔓延関して科学教育という観点から批判したものとしては、北村正直さんの「反科学・反理性と科学教育」↓がお薦めです。
http://www.nikonet.or.jp/spring/han/han.htm

現実の似非科学(ニセ科学)がどんなものであり、それとどう向き合うべきかについて実践的に取り組んでいる方のブログ『事象の地平線』(天羽優子さん)↓は私もときどき拝見しています。この方の「ニセ科学とは何か?」↓の中に「新規な内容が真実であることを科学の手続きに沿って立証するのは、その内容を主張する側であり、立証がない間はその主張については無いものと見なす。/これを守らずに科学を装う主張は全て却下してよいし、却下するべきである」という一節があります。「科学的に証明されてはいません」という断りがいかに無意味な弁明かが分かります。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/wiki/index.php?%E3%83%8B%E3%82%BB%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%9F

(2008.01.05 11:37:52)

済みません、広がっちゃいました。   シカゴ・ブルース さん
URLが長過ぎて、横にえらく広がってしまいました。
申し訳ありません。以後気をつけます。 (2008.01.05 11:41:29)

Re:済みません、広がっちゃいました。(01/05)   かつ7416 さん
シカゴ・ブルースさん
>URLが長過ぎて、横にえらく広がってしまいました。
>申し訳ありません。以後気をつけます。
-----
いえいえ
しかし、こういった話を教師が広めたり、理系の学生が信じていたりという話にはびっくりしますね。
根本的には、科学的思考の基礎をなす抽象的思考能力が欠けているということなんでしょう。
いくら難しい数学や物理の問題が解けても、こんなことにひっかかるんじゃ話になりません。

「日本人は西欧の学問の成り立ちと本質について大いに誤解しているように思える。日本人は学問を、年間に一定量の仕事をこなし、簡単によそへ運んで稼動させることのできる機械の様に考えている。しかし、それはまちがいである。ヨーロッパの学問世界は機械ではなく、ひとつの有機体でありあらゆる有機体と同じく、花を咲かせるためには一定の気候、一定の風土を必要とするのだ」
http://blogs.dion.ne.jp/ivanat/archives/6643001.html #more
三介さんのところの「ベルツの日記」からの重引ですが、こういう状況はあまり変わっていないのかもしれません。 (2008.01.05 12:02:44)

ネガテイブなコメントでごめんなさい   散策 さん
かつ様、こんにちは。今日はどちらかというとネガテイブなコメントです。ごめんなさい。今回その場の誰も信じていない内容での議論で、すれ違いがあったようで、残念でした。先般トラックバックいただいた際にブット元首相の生前テレビ映像に驚いている旨コメントさせていただきました。かつ様の解釈はいただきましたが、実際ブットさんは何と言っていたのでしょうか?関心はもたれませんか?私が不思議だったのは、ブット元首相が何と言っていたかよりも、ブログ上の誰も信じていない「水伝」に、かつ様の関心が行っていることでした。かくゆう私も、誰かに聞かせたわけでもなく、繰り返し聞き直すでもなく、放置しているだけで、何かする予定はありません。トンデモ論批判であれば、先般ブット元首相のV とか、アラン・ルッソのVとかに対する批判や反証が個人的には聞いて安心したいところです。眠り猫さんに自分の頭で考えてないと叱られてしまいそうですけど。 (2008.01.05 17:16:50)

Re:ネガテイブなコメントでごめんなさい(01/05)   かつ7416 さん
散策さん
>今回その場の誰も信じていない内容での議論で、すれ違いがあったようで、残念でした。

えーと、↑は、ぶいっちゃんのところでの騒動ということでしょうか。
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-766.html

たしかに、左巻さんとか菊池さんとか、いろんな人による「啓蒙」活動が始まった今となっては、胸をはって自分は信じている、という人は少ないでしょうね。なにしろ、今でもそんなことを言うのは、さすがに恥ずかしいでしょうから。
でも、これは1つの象徴的な話であり、いわば氷山の一角のようなものではないのでしょうか。

実際、上のぶいっちゃんのところへのコメントには、
>酵母にモーツァルトを聞かせるとおいしいお酒ができると実用されてもいます
なんて言ってる人もいますね。確かにそういうことをやっているという話は聞きます。牛にモーツァルトを聞かせると乳のいいとかトマトに聞かせる(?)と甘くなるというような話もあります。
牛はともかくとして、これも「水伝」と同じ類ではないでしょうか。いまや「イカサマ科学」というのは、これを叩けば、あっちがで、あれを叩けばこっちがで、というもぐら叩きのような状況になっていると思います。
なので、『誰も信じていない「水伝」』という散策さんの判断は甘いように思います。問題は、この程度の話のおかしさを、わざわざ専門の学者に指摘されないと、気付かない教師や理系学生がおおぜいいるという、現代の知的状況のひどさにあります。 (2008.01.05 19:11:04)

続きです   かつ7416 さん
で、私のスタンスを言いますと、一見度派手な「政治的事件」よりも、その基盤である「社会」のほうに関心があります。なぜなら、政治というものを根本的に規定しているのは社会であって、その逆ではないからです。
とくに個別情報の確かさを確認しようがない事件の場合、あれこれ推測するのはそれほど意味のあることではないように思います。
「陰謀論」を繰り返し取り上げたのも、個々の問題に対する関心というより、そのようなものが大手を振って歩いていることが、現在の知的頽廃とでも言うべき状況を象徴しているように思えるからです。
したがって、Kojitakenさんやたんぽぽさんと同じように、私も「陰謀論」の流行と「インチキ科学」の流行は、根が一緒だと思っています。
ビンラディンは確かに死んでいるかもしれません。そういう噂は、以前から何度も出ては消え、出ては消えの繰り返しです。
しかし、それをブットがテレビでしゃべったからCIAが殺したとかいうことは、ありえないでしょう。
本当にCIAが殺したかったのなら、なにもパキスタンに呼び寄せる必要もないでしょうし、パキスタン情勢にどんな影響を及ぼすかも分からないような、あのような派手な方法を使う必要もないでしょう。
なんと言っても、今のパキスタンは核保有国なのですから、いくらなんでも先行き不透明に陥る可能性のあるようなやり方はしないと思います。
(2008.01.05 19:16:11)

Re:続きです(01/05)   散策 さん
かつ様、ご丁寧なレスありがとうございます。ご指摘上記エントリです。収束してもらいのでこれでご勘弁ください。トラックバックいただき、それまで交流もさせていただいておりませんでしたのに、そのとき一番頭に引っかかっていた内容をかつ様にお伺いし、あつかましかったと思います。失礼しました。
>ビンラディンは確かに死んでいるかもしれません。そういう噂は、以前から何度も出ては消え、出ては消えの繰り返しです。
>しかし、それをブットがテレビでしゃべったからCIAが殺したとかいうことは、ありえないでしょう。
>本当にCIAが殺したかったのなら、なにもパキスタンに呼び寄せる必要もないでしょうし、パキスタン情勢にどんな影響を及ぼすかも分からないような、あのような派手な方法を使う必要もないでしょう。
>なんと言っても、今のパキスタンは核保有国なのですから、いくらなんでも先行き不透明に陥る可能性のあるようなやり方はしないと思います。
-----
たんぽぽさんの批判する田中宇氏解説の多極主義や、人口削減の核戦争を画策する狂信的宗教信者もいるというトンデモ論までいけば理屈は立つかもしれませんが、また収拾のつかない話になってしまいますし、私も信じているわけでありませんので、ここまでとしたいと思います。また、身近な話題のときに、寄らせていただければと思います。ありがとうございました。 (2008.01.05 23:55:57)

Re:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   alex99 さん

テレビでBBCの作成したキリスト教の歴史などを見ていると、進学者や協会関係者という人達って、私と全くちがう人種だと感じます

彼等はイエスの奇跡・降臨・昇天・神の子・・・等をいとも簡単に信じている
というより、キリスト教の特質が関係しているのでしょうけれど、まず「信じる」・「信仰」から入るから、進化論さえも否定して、いささかも科学的疑問を感じない
「人間は信じるものしか見えない」と言われますが、その典型かもしれませんね


(2008.01.06 12:15:51)

Re[1]:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   alex99 さん

もうしわけありません
訂正です(変換ミス)

進学者や協会関係者 → 神学者や教会関係者

  _| ̄|○

(2008.01.06 12:18:26)

Re[1]:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   かつ7416 さん
alex99さん
キリスト教徒といっても、世界中の全員が聖書を一字一句信じているわけではないですね。
ガリレオが異端審問を受けた話は有名ですが、自然科学の発達とともに、近代では、それなりに「信仰」と「科学」が共存してきたように見えるのに、ここへきてなんでまた「原理主義者」が勢力を増してきたのでしょう。
それもアメリカのような「文明国」で。
ここがちょっと不思議なところです。 (2008.01.06 14:55:07)

Re[2]:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   alex99 さん
かつ7416さん
>alex99さん
>キリスト教徒といっても、世界中の全員が聖書を一字一句信じているわけではないですね。
------
たしかにその通りですね
私の経験では、英国では英国国教会の影響があるのか?いわゆる churchgoer が身近にはほとんどいなかったような気がしますし、宗教的な話が話題に出ることも無かった
相手が日本人ということもあったのでしょうが
ただカトリックの人びとは、アイリッシュが多いしちょっと雰囲気がちがいましたが

>ガリレオが異端審問を受けた話は有名ですが、自然科学の発達とともに、近代では、それなりに「信仰」と「科学」が共存してきたように見えるのに、ここへきてなんでまた「原理主義者」が勢力を増してきたのでしょう。
>それもアメリカのような「文明国」で。
>ここがちょっと不思議なところです。
-----
もともと原理主義的な清教徒が建国した国ですし、テレビ説教の影響も多いのではないでしょうか?

またポーランド国民が連帯運動など反ソ連的な姿勢を公然と示したのも、90%以上がカトリック教徒という背景より、民衆レベルが結集する裏の政府、教会があった
同じように移民としての苦難、西部開拓の苦難や新しい町の住民(多民族)の結束に教会のニーズが非常に強かったのでは無いでしょうか?

それに移民の国の国民って、一般論ですが、歴史の古い国民が、どこか饐えたような複雑さを持っているに比較して、単純ですよね

(2008.01.06 17:50:59)

Re[3]:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   かつ7416 さん
alex99さん
>もともと原理主義的な清教徒が建国した国ですし、テレビ説教の影響も多いのではないでしょうか?

ええ、説教が上手くて影響力の強い牧師とかが、何人もいるみたいですね。
ああいうのを見ると、伝統的なキリスト教というよりも、むしろ日本で言う新興宗教などに近いような気がします。

>それに移民の国の国民って、一般論ですが、歴史の古い国民が、どこか饐えたような複雑さを持っているに比較して、単純ですよね

それは感じます。
ヨーロッパの場合は、宗教の圧制や激しい教派対立という過去があって、その反省から宗教的寛容というものが成立し、いまがあるのでしょう。
ところが、アメリカにはそういう歴史がありません。
有名な話ですが、最も遅くまで魔女裁判があったのはアメリカだといいます。

そういう歴史の浅さとメディアの急激な発達、それに伝統的な階級秩序の欠如(これはむろん悪いことではないのですが)が、この国にヨーロッパよりも徹底した「大衆社会」状況をもたらしています。
それがかつての禁酒法とか赤狩りなどのように、この国がときおりヒステリックな状況に陥る原因のように思います。
9.11直後も、まさにそのような感じでした。
もっとも私はalexさんと違って、海外体験も海外人との付き合いの経験も全然ない、純粋のネイティブ・ジャパニーズですけど (2008.01.06 18:59:37)

Re:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   コピペ。 さん
> 科学の土俵に乗る(「現在の科学では証明されていない」みたいな)行為自体が結局は科学と主張していることだ

うーん。その事柄について「科学的な関心を持っている」場合には、科学的な主張だと誤解することはあるのだろうと思いますが。
でも、そういった事柄についての「科学的関心を特に持っていない」場合は、科学的主張だとは普通は考えないのではないでしょうか。
つまり、科学的主張だと誤解するような人というのは、その問題について科学的な関心を持ちながらも、その問題について科学的な知識を持たないという奇特な人が専らではないかと思う訳です。
水伝を好意的に見る人は、大方は「科学的か、どうか」ということに大した関心がなく、お話として気に入ってるだけかと。

http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20080111/p1 #c1200311550 (2008.01.15 10:47:54)

Re[1]:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   かつ7416 さん
コピペ。さん
>水伝を好意的に見る人は、大方は「科学的か、どうか」ということに大した関心がなく、お話として気に入ってるだけかと。

まあ、そのお話というのもあまり気に入りませんが。 (2008.01.15 10:57:28)

私は反理性ですね、きっと(笑)   愚樵 さん
TBありがとうございます。一度読ませていただいたエントリーですが、改めて拝読しました。前はコメント欄は読まなかったのですが、今度はコメント欄も含めて。

『水伝』はバカバカしい話です。それを〈信じる〉のは勝手ですが、科学と称するには値しない。ま、そんなことは今更ですが。

ただ、私はやっぱり「科学」なるシロモノには懐疑的ではありますね。いえ、理性に懐疑の目を向けているといってもいいでしょう。シカゴ・ブルースさん紹介の「反科学・反理性と科学教育」の“科学的真理は人間が創造したものである”という言説に大いに納得してしまいます。といって、そこから科学的真理に手前勝手な意味づけをするのは論外ですが。

思うに、科学的真理というものはニヒリズムの極致でしょう。いかなる意味付けをも排除したところにあるのが科学で、人間はそれを生み出した。けれど、生きている人間とニヒリズムの相性は極めて悪いんですね。それで、人間はどうしても科学に意味付けをしようとする。科学を人間の創造ではなく自然界の真理として捉えるのもまた、人間による意味付けなのではないでしょうか。 (2008.06.01 11:07:40)

Re:私は反理性ですね、きっと(笑)(01/05)   かつ7416 さん
愚樵さん
話が混乱するのには、おそらく「科学」とはなにかということがそもそも明確ではないし、共通理解もないということにも原因があるように思います。厳格な「科学主義」(これも曖昧ですが)の立場からすれば、「科学」の名に値するのは「自然科学」だけということになるでしょう。これも徹底すると、再現不可能な「大進化」論や宇宙物理学とかは科学ではないということになるのかもしれません。

ポパーだのクーンだのという難しい話はおいとくとして、そもそも科学というのは、本来「限定的な知」を意味します。それは、世界を一挙に捉えようという無謀な希望を断念したところに成立します。なので、もともと「科学」は絶対的な真理でも総合的な真理でもないし、人間の理性のすべてでもない。「理性」というものは、もっと多様で幅広いものです。おそらく優れた科学者というものは、そういう意味での科学の「限界」というのもわきまえているものだと思います。

しかし、科学は限定的であるがゆえに、その範囲においては強い威力を有します。そこから、本来の範囲を超え、人間自身を含めて、すべてを数量化し、客観的観察が可能で操作可能な対象とする「技術主義」的な発想も生れてきます。それが、アドルノのいう「理性の頽落」、「野蛮への後戻り」ということなのでしょう。

>思うに、科学的真理というものはニヒリズムの極致でしょう。いかなる意味付けをも排除したところにあるのが科学で、人間はそれを生み出した。けれど、生きている人間とニヒリズムの相性は極めて悪いんですね。

いっさいの意味づけ=価値観を排したという意味では、そうでしょうね。たしかに、人間はニヒリズムには耐えられません。 (2008.06.01 11:56:01)

Re:私は反理性ですね、きっと(笑)(01/05)   alice さん
愚樵さんの問題意識のありどころを考えると、科学論に目を通すと良いのではないかと思います。(といって、私も入門書の一部しかまだ読めてないのですが)

かつ7416さんは
>ポパーだのクーンだのという難しい話はおいとくとして
とおっしゃってますが、概説書で一通りの論を眺めるのは良いと思います。少し古いですがチャルマーズ『科学論の展開』あたりいかがでしょう。序論を見ると、愚樵さんの問題意識に近いものを感じます。(既読でしたら、おせっかいすみません。)

一応、AmazonのURLを置いておきます。
http://www.amazon.co.jp/ 科学論の展開―科学と呼ばれているのは何なのか-F-チャルマーズ/dp/4769905408 (2008.06.01 16:37:52)

Re[1]:私は反理性ですね、きっと(笑)(01/05)   かつ7416 さん
aliceさん
いちおう、科学論関係で手元にあるのは、講談社学術文庫で出ているクーンの「科学革命の構造」と佐々木力の「科学革命の歴史構造」、同じく佐々木さんの岩波新書「科学論入門」ぐらいであります。
ポパーのほうは「反証可能性」云々という話はよく聞きますが、大著「開かれた社会とその敵」を無謀にも図書館から借り出してきて、冒頭部分だけで挫折した悲しい思い出があります。 (2008.06.01 17:07:22)

訂正   かつ7416 さん
クーンは「科学革命の構造」ではなく、毒ガスの権威である常石敬一氏が訳した「コペルニクス革命」でした (2008.06.01 17:45:46)

Re:「水伝」 の話から考えたこと(01/05)   alice さん
エントリの水伝の部分は、私も最近、似たようなことを感じました。後ほどトラバつけさせていただきます(ずいぶん前のエントリに今更ですみませんが)

科学哲学は、伊勢田哲治という方の『疑似科学と科学の哲学』が大変良かったです。(愚樵さんにもお勧めです)
こちらの書評が参考になります。
http://d.hatena.ne.jp/hal_tasaki/20051211 (2008.06.04 15:06:28)

Re:訂正(01/05)   alice さん
かつ7416さん

佐々木力さんの著書は存じ上げないのですが、クーンの「コペルニクス革命」は面白そうですね。今気になっているファイヤアーベントとそれへの批判論に目を通した後で、読んでみたいです。情報ありがとうございました。 (2008.06.05 00:08:06)

Re[1]:訂正(01/05)   かつ7416 さん
aliceさん
佐々木力という人はマルクス主義者で、しかも学生時代からのごりごりのトロツキストという変り種です。もっとも、彼の岩波新書のほうは、買ってから目次にちらちらと目をとおしたぐらいなのですけど。
時間がないですね。 (2008.06.05 02:09:46)


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