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カテゴリ:ニュース
京都の宗教法人「聖神中央教会」の牧師が、
信者の少女に対して性的虐待などをしていた容疑で逮捕されたという。 宗教者が神仏の名をかたりながらいかがわしいことをしているのは、 許しがたいことではあるが珍しいことでもない。 今日は、オウム真理教事件で初の死刑判決が岡崎元幹部に確定されたが、 宗教の名の下に時折おぞましいことが起きる。 こんなニュースを見聞きするたびに思うのは、 このようなことをする人たちは、 多分全く神仏を信じていないのだろうということ。 多少なりとも神仏の存在を信じていたなら、 怖くて明らかな「悪事」なんてできないだろうと思うから。 私は特定の宗教を信じてはいないから、 分類するなら「無宗教」になるのかもしれないけれど、 それでも悪いことをしたら罰が当たるのではないかと思ってる。 天国(極楽)も地獄も半信半疑の状態で、 できることなら「死んだらそれでオシマイ」であってほしいと思うのは、 あの世に行ってまで裁かれたりしたくないから。 それでも、万が一にでも死んでから裁かれるのはイヤだから、 できるだけ悪いことはしないでいたいと日々生活している。 でも生きている限り、失敗したり誰かを傷つけたりは避けられないから、 どこで恨みを買っているかはわからない。 ひょっとすると私の心無い一言で、 立ち直れなくなっている人がいるかもしれない。 わかっていたら謝ることもできるけど、 絶対に無理だってコトもある。 長く生きれば生きるだけ、そんなことが増えているはずだ。 そんなことを考え始めたら 万が一にでも、あの世でそんな人たちに仕返しをされたり、 神仏に「おまえは随分偉そうにしていたな。おまえの偽善はお見通し」なんて、 「ちょっと地獄で修行して来い」なんて言われたらどうしようと、 この世からおさらばする時の心配よりも、 そっちのほうがわからないだけに心配だ。 そんな小心者の私だから、 神仏の名をかたって悪事を働く人は、 正真正銘「無信心」の人だろうと思うわけだ。 そんな人が聖職者になれて、その人に騙される人がいるということが、 どうしても私には理解しがたい。 誰も彼等の仮面が見えなかったのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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