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カテゴリ:ニュース
「名張毒ぶどう酒事件」については、全く知らなかった。
多分どこかの時点で見聞きしてはいたのだろうが、 すぐに忘れてしまったのであろう。 記録のために、記事をコピーしておく。 名張毒ぶどう酒事件:奥西勝死刑囚の再審決定 名古屋高裁 三重県名張市で1961年、ぶどう酒に農薬が混入され女性5人が殺害された「名張毒ぶどう酒事件」で死刑が確定した奥西勝死刑囚(79)の第7次再審請求で、名古屋高裁(小出ジュン一裁判長)は5日、再審を開始する決定をした。小出裁判長は「混入毒物は、奥西死刑囚の農薬とは異なる疑いがある」と述べ、捜査段階の自白の信用性に疑問を呈した。死刑確定事件で再審開始決定が出るのは、86年の「島田事件」以来19年ぶり5件目。 第7次請求では、同高裁が弁護側の鑑定人を証人尋問し、第5次請求以来16年ぶりに事実調べを行った。1審で無罪とされながら2審で逆転死刑判決を受け確定した事件は、死刑確定から33年を経て再審の道が開かれる極めて異例の展開をたどることになった。 (中略) ■名張毒ぶどう酒事件の再審請求■ 61年3月 事件発生 4月 奥西勝死刑囚逮捕、起訴 64年12月 津地裁が無罪判決 69年9月 名古屋高裁が死刑判決 72年6月 最高裁が上告棄却、死刑確定 73年4月 奥西死刑囚が第1次再審請求 74年6月 第2次再審請求 76年2月 第3次再審請求 9月 第4次再審請求 77年5月 第5次再審請求、日弁連人権擁護委が支援 88年12月 名古屋高裁が請求棄却 93年3月 同高裁が異議申し立て棄却 97年1月 最高裁が特別抗告棄却、第6次再審請求 98年10月 名古屋高裁が請求棄却 99年9月 同高裁が異議申し立て棄却 02年4月 最高裁が特別抗告棄却、第7次再審請求 04年12月 名古屋高裁が弁護側の鑑定人を証人尋問、 16年ぶりの事実調べ 05年2月 弁護団、検察側が意見書提出 05年4月5日 再審開始決定 (毎日新聞 2005年4月5日 11時35分 ) 事件当時の1961年に私は11歳。 新聞も読んでいなかっただろうし、テレビもまだなかったかも・・。 最高裁死刑確定の72年、私は自分のことで精一杯であがいていた。 その後、何度も何度も再審請求をしている時、 私は結婚・仕事・子育てで必死だった。 まだ11歳だった私が大人になり、結婚し、子どもを育て、子どもは結婚し孫も二人生まれた。 平凡な年月といえるだろうが、それでも結構長い時間である。 その長い日々を、獄中で死刑の恐怖に怯え、もしも本当に冤罪ならば、 怒りと悔しさとに毎日を過ごす日々。 私にはその心境は到底想像ができない。 もしも自分が冤罪で捉われ、自分の主張を誰もが見向きもしなかったならば・・。 想像するのも恐ろしいことである。 ネット検索をしたら、名張毒ぶどう酒事件 全国守る会というサイトがあった。 多くの人の地道な支援活動が、再審の重い扉を開いたのだろう。 それにしても、このような不明確な物証で死刑判決になるのだと思うと、またまたゾッとする。 どうして今まで再審が認められなかったのかも、どうも納得できず不思議である。 世の中には、様々な形での魑魅魍魎(ちみもうりょう)が満ちている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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