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カテゴリ:07読書(ノンフィクション)
「非国民のすすめ」ちくま文庫 斉藤貴男(07.7.10発行) 「文庫版のためのはしがき」で石原都知事三選の結果に対し、斉藤はいままで以上の調子で次のように怒る。 「閉塞状況の下で英雄を待望してやまない人々が、石原氏の凶暴なまでの独善、社会的弱者に対する差別そのものの「政策」こそにかえって全能のリーダーシップを期待し、東京を、さらには自分自身の人生までをも牽引していってもらいたいと考えていることは確かであるようだ。 なんという他力本願、思考停止。全身全霊の依存心。奴隷根性!仮にも人間の社会において、自律せんとする精神をかくも決定的に欠いた人々が圧倒的多数派を形成してしまうなどという事態がありえるものなのだろうか。 残念ながらあり得るのだ。いや、大いにあり得る。否、人間の歴史はその繰り返しだったと断言して差し支えないのかもしれない。」 斉藤はジャーナリストである。だから繰り返された「人間の歴史」については深入りはしていない。しかし、例えば、住民基本台帳法の次には必ず「全国民の指紋登録を求めてくるはずだ。」と警告したあとで、そのルーツを1930年代の満州での制度にあったと指摘する。つまり、かつて満州で組織された「特捜指紋班」の役割が「抗日部隊」と「良民」を分断し、「良民」の生活を隅々まで一元管理することに機能したというというのだ。実際、国民背番号制を完成させている韓国で私は大邸のコインロッカーの鍵の代わりに指紋認証の技術がさりげなく使われていたのを経験している。(もっともそのようなロッカーは大邸だけだった) 制度の最初に支配者側の意図がよく現れているのは、年金が戦費調達の手段だったということからもわかる。それと同時に「監視カメラ」のルーツも興味深い。ルーツは60年代釜が崎の大暴動のあとにそこに設置されたのが始めらしい。犯罪者を見つけるためではない。抵抗勢力を監視するために始まったのである。 将来の監視カメラについて。例えば、「顔認識技術」の導入を検討しているらしい。あらゆる生活場面を通して、すでに設置してあるカメラの前を通った「市民運動やデモに参加した人はもちろん、ラブホテルに入っていくカップルも、ビジネス街を闊歩するサラリーマンも、誰も彼も警察官の胸先三寸で全て特定されよう。」(02.5の記事) 思うに、こんな例を紹介していくと、大長文になってしまい、本を紹介するという第一の目的の障害になってしまう。斉藤の本は基本的に一文一文が独立しているから、暇があるときに本屋で立ち読みするのに向いている。そして時々「怒り」を思い出したらいかがであろうか。 最後にひとつ読んでいてびっくりしたことを書く。斉藤は三浦朱門や江崎玲於奈の優生思想や「非才・無才には、せめて実直な精神だけ養っておいてもらえればいいんです。」等の発言を繰り返し糾弾しているのだが、両人ともなんと、全然抗議してこなかったらしい。編集者は斉藤に言う。「彼らなりに筋が通っているよね。」斉藤は応える。「違うよ。今の日本ではああした、勉強の出来ない子供や人々を見下ろし、小ばかにした態度をとったほうが多数派に喜ばれ、かえって支持されると承知していからでしかありゃしないぜ。」 怒りを忘れるな。 produced by「なごなぐ雑記」一票一揆へ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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