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カテゴリ:考古学
昨年の1月26日、千足古墳の現地説明会があって見学に行っていたことをまだブログには公開していませんでした。そして、さらにその石室から保存処理のために取り出していた石障(装飾石材)の公開があったこと、そしてさらに今年2月1日に千足古墳で第二の石室が見つかって現地説明会があって見学に行ったこと、これらを三回に分けて連載します。
「むつかしいことをわかりやすく」書ければいいのですが、力量不足でたぶん無理です。でも努力してみます。 なぜ千足古墳が面白いのか。 私見ですが ●日本第四位の大きさを誇る造山古墳のおそらく陪塚(従者の墓)である。この墓の解明は、造山古墳時代の解明につながる。そして造山古墳は造成当時は日本第一の規模の可能性があり、もしかしたら一時的に大和政権が吉備に移っていた可能性もあるのである。 ●ここから出た石障は九州に多く存在する装飾古墳とのつながりが非常に濃い。吉備と九州のつながりはどうだったのか。そこを明らかにすると、謎に満ちた倭国の形成史が豊かになるだろう。 大きく言ってこの二点です。 (←いかん、この時点でかなり難解。すみません) ![]() 先ずは昨年の千足古墳発掘説明会です。写真は造山古墳と千足古墳の位置関係。誰が見ても陪塚ですが、発掘関係者はハッキリとは言いません。 ![]()
実はこの数字は、2013現説資料よりは大きくなっている。発掘で正確に測った処、大きさが分かったらしい。 ![]() 後円部より前方部を眺める。前方部はどうやら畑を作るために少し削られているみたいだが、それにしても低い。そして短い。これが「帆立貝形」の特徴である。
![]() 後円部から遠く造山古墳を眺めた。 ![]() 石障はすでに取り除かれているが、石室そのものは今まで非公開だったので、見るのは初めてである。このようにちょっと地下に降りる感じで羨道(石室に通じる道)があるようだ。 ![]() 思った以上に綺麗に石を積んでいた。 ![]()
靫形埴輪は何を示すのか。謎は深まるばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年02月21日 12時48分08秒
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