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カテゴリ:台湾2015
分館の資料を観た後、卑南公園。ここでも30分で約束。 この広い広場がそのまま遺跡だった。この景色こそ見たかった。 後ろに険しい山を控え、小高い丘が広がるこの景色は、古代遺跡に特有の景色だろう。 住居の復元。(追記)と、最後まで思っていたが、後でパンフを見返すと、「現代の」卑南族青年会所とあった。 流石、亜熱帯地域。竹だけで住居をつくるとは! その組み合わせ方は、独特だ。 しかも高い。雨が多い地域の知恵か(しかし後で考えると台風はどうしたのだろう)。 これは遺跡ではない。地域のお祭り用の設置なのだろう。原住民に関係しているような。 広場に祭りの空間をつくる。そこに導く羨道をつくる。それは世界共通なのだろうか。 中国風俗に特徴的なブランコである。やはり子供だけでなく、恋人たちも好んで乗る。 周りに果物畑が広がっていた。後で、台東名物「釈迦」という果物だと知る。 そこから20分ほどタクシーで行く。ぐずぐす言っていたけど、ここで1000元(4000円)も払って彼とはおさらばする。念願の国立台湾史前文化博物館である。 地下一階がまるまる古代史コーナーになっている。これまでの古代史不足感を十分なくす出来栄えだった。卑南文化では、貝を加工してスプーンを作っていた。こういうのは、初めて見た。大きな貝が豊富に取れるこの地域独特のモノだろう(日本では、装飾品しかない)。 魚の骨を利用して、こんな装飾品も作っていた。かつて、沖縄県立博物館で見たジュゴンの骨を利用した細かい装飾を思い出す。 中国との大きな交流があったことを証明しているらしい。潮の流れにそえば、筏でもくることが出来るらしい。 驚くのは、こんな玉耳飾りが出土していることだ。日本には、こんな立派なモノはおそらくない。右は一切ない。 石棺の埋葬作業のジオラマ。びっくりするのは、足下に他の人の頭骨があること。骸骨なので、殉葬ではないと思うのだが。 これは石梯らしい。しかし、梯子(はしご)として利用したのか、養殖豚の餌入りとして利用したのか、説が分かれているらしい。 卑南遺跡の石器。武器やいろいろ。形が日本とは相当違う。そういう意味では、直接はこの人たちは日本には来ていないと思う。 土器のいろいろ。基本的に中国の文化の影響を多分に受けていると思う。 抜歯風俗があった。 石棺はこんなにも立派だ。一般的なモノとは思えない。 驚くのは、この「人獣型玉飾り」である。 十分に説明書を見ていないが、非常に独特であり、中国の輸入品であることは確かだろうが、どこの産出なのか。何となく三星遺跡の遺物に似ている。 この玉管も日本では産出しない非常に立派なモノだ。 この瑠璃の腕輪も唸った。 遺物がともかく素晴らしい。時代は弥生時代前期-中期なのである。 これは長光遺跡の岩棺の複製。実物ははるかに大きいみたい。 東海岸には巨石文化が栄えたらしい。これは人の形なのか、どうかはよくわからなかった。 石牌橋遺跡(BC1500-AC)出土、肩のある単石。 長光遺跡(BC1000年-)出土、双角杯。 長光遺跡出土、「陶偶」。これはサルか?サルなのか! 卑南遺跡出土、「有槽石棒」。このギザギザを何に使ったんだ!どうして日本では作られなかったんだ! 卑南遺跡出土、石刀や石鎌刀。四角なのは日本では見かけない。この曲線の刀も日本にはない。 巴○(Patu)。佳里遺跡出土。複製品。これも用途はなんだったのか。 花岡山遺跡出土。蛙形玉飾り。これも非常に独特だ。中国の三星遺跡の影響のような気がする。 蓋寮遺跡(BC1000-)出土。石子尖器。やはり日本では、見たことない。 これもびっくり。瑠璃腕輪。十三行遺跡出土。二つも展示されてあった。これと全く同じ形、大きさで、色だけは青と緑で違うモノが、伊丹の弥生晩期つまり少し早いだけの遺跡から見つかっている。日本では、四例しかない貴重なモノである。形が全く同じということは同じ中国の同じ地域で作られたのか。だとすると、日本のそれは中国との交流があったのか。これは少し質が悪い気がするが、日本のあれは最高級品だったのか。その辺りの研究はどうなってるのか。 これは鉄器時代を多分先駆けた遺物だったと思う。これから鉄器時代の遺物を見る。 十三行遺物。この特異な形は、中国の影響ではないか。しかも青銅刀の柄である。 鳶松文化。特殊な鳥の頭をした陶製品があるらしい。 亀山文化。紋飾が特徴的らしい。 静浦文化。阿美族と密接な関係があるらしい。 ここまで来ると、古代も終わる。黄金の胸飾りである。白桑安遺跡出土。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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