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カテゴリ:社会時評
いわゆる「呪い」には、科学的根拠のないものも多いが、何千年もつかられたのだから!当然「ある」ものもある。それを科学的に説明できている、数少ない「呪い(のろい、ではなくて、まじない、と読みます!)」のひとつだろう。
のろい、と、まじない、を同じ読み方をするのを今回初めて知った! 昨晩の満月 「痛いの痛いの飛んでけ~」でホントに飛んでくワケ 10/2(金) 12:22 読売新聞(ヨミドクター) 森本昌宏「痛みの医学事典」 世の中は痛みにあふれている。多くの方々を長期間にわたって悩ませ続けている慢性痛、切り傷、やけど、打撲などの急性痛……と枚挙にいとまがない。痛みを引き起こす危険は、あちこちで息を潜めて待ち構えている。私たちは、物心がついた頃から、ドアで指を挟んだり、転んだりする度に痛みの存在を知り、その危険から身を守るすべを学習してきた。痛みを数え切れないほど経験して大人になったわけだ。 痛みの伝達には“門番”がいる 「痛いの痛いの飛んでけ~」でホントに飛んでくワケ さて、幼い頃、頭を机の角にぶつけ、母親に「痛いの痛いの飛んでけ~」のおまじないとともに頭をさすってもらっていると、目から火が出るくらいだった痛みが不思議と楽になった――そんな経験をお持ちの方も少なくはないだろう。私は、痛みの診療を専門としているものの、向う脛(ずね)を打ちつけた時などには、今でも思わず「痛いの痛いの飛んでけ~」と心につぶやきながら脛をさすってしまう。 この痛い部位をさする、圧迫するといった無意識の動作は、実は理にかなっている。こうした“おまじない”は、痛みの情報が脳へ伝わることを抑えるのだ。 1965年に、メルザックとウォールが発表した学説「ゲートコントロール説」がこの不思議を解き明かした。頭をぶつけた、向う脛を打ちつけたことによる刺激は、侵害受容器(末梢(まっしょう)神経の端に露出している痛みの受け皿)を興奮させる。その興奮は末梢神経によって脊髄の入り口(脊髄後角)へと運ばれ、さらには脊髄を通って脳の痛みの中枢である視床、大脳皮質へと伝えられる。しかし、すべての情報が脳に伝わるわけではない。 脊髄後角には門番が待ち構えていて、ゲートの開け閉めをしている。この門番とは、膠様(こうよう)質細胞と呼ばれる神経細胞で、痛み情報の脊髄への伝達を調節している。通常は、脊髄後角のT細胞の興奮がある強さに達し、痛み情報の受け渡しが行われるのだが、膠様質細胞がT細胞の興奮を静めると、この受け渡しにストップがかかる(シナプス前抑制と呼ぶ)。門番によってストップをかけられた痛み情報は、脳の痛み中枢には伝わらなくなる。 その仕組みを説明するとこうなる。侵害受容器が受け取った痛み情報は、末梢神経のAデルタ線維、C線維と呼ばれる細い神経線維によって脳へと伝えられる。一方で、「さすられている」「圧迫されている」との感覚は、Aベータ線維と呼ばれる太い線維によって伝えられる。Aベータ線維が刺激されると、門番は、「いっぱい働いたから、もうゲートを閉めちゃおっかな」と、痛みを伝える細い線維からの情報に対して門を閉じてしまうのである。 刺激の強さと痛みは必ずしも相関しない 17世紀、フランスの哲学者・デカルトは、刺激の強さと痛みの強さが比例することを唱えた。以降、これは「教会の鐘理論」と呼ばれ、支持されてきた。しかし、このデカルトの理論に反する臨床的、または生理学的事実も多く存在した。その問題を解明したのがゲートコントロール説である。たとえば、神経障害性疼痛(とうつう)の一つである「複合性局所疼痛症候群」では、末梢神経が障害を受けることにより、Aベータ線維からの情報量が少なくなって膠様質細胞の活動が低下する。その一方で、Aデルタ線維、C線維からの情報がT細胞を盛んに興奮させるため、強い痛みが生じる。つまり、この場合の痛みは、刺激の強さとは相関しないことになる。 いろいろな部位に門番が なお、慢性痛に悩まされている方は、何か別なことに集中していると痛みが軽くなることを、知らず知らずのうちに体得されているだろう。このことは、脊髄の入り口以外にも、中枢神経系のいろいろな部位に門番が存在することを示唆している。つまり、精神活動や記憶などによって、多くの門番が痛みを変化させているのである。 その他にもさまざまな痛みを和らげるシステム(生体内疼痛制御機構)が存在する。その一つに「下行性抑制系」と呼ばれる脊髄の伝達経路がある。この経路は「痛みを和らげなさい」との命令を、脳の痛み中枢から末梢に向かって逆行性に伝えているのである。また、体内には痛みを軽減する化学物質であるエンドルフィンやエンケファリンといった内因性オピオイド(モルヒネのような物質)が存在している。これらの分泌により“ランナーズハイ”がもたらされることは有名だ。 痛ければ、まずはその部位をさすってみよう。 どうしても治せぬ痛みに矢も尽きて「痛いの痛いの飛んでけ」となる 馬左宏 森本昌宏 大阪なんばクリニック本部長・痛みの治療センター長。 1989年、大阪医科大学大学院修了。医学博士。同大学講師などを経て、2010年、近畿大学医学部麻酔科教授。19年4月から現職。日本ペインクリニック学会専門医、名誉会員。日本東洋医学会指導医。著書に『ペインクリニックと東洋医学』『痛いところに手が届く本』ほか多数。現在、大阪市北区の祐斎堂森本クリニックでも診療中。 縄文時代のもので、ジンジャークッキーのような人形が複数出たが、手や足が折れていて、その破片が見つからなかったが、遠く離れた遺跡で、その破片が見つかった。 怪我や病気をしたところと人形の同じところを折って遠くのお山に捨てたと思われる。 縄文時代から「痛いの痛いの、遠くのお山へ飛んで行け。」が受け継がれてるんだなぁって思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月01日 07時16分36秒
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