今日は体育の日。
そして、昨日までの荒天を忘れさせるような秋の青空が高く澄み渡っていました。
この本を読了するのに、全くふさわしい日でした。
オリンピックの身代金
昭和39年夏。10月に開催されるオリンピックに向け、世界に冠たる大都市に変貌を遂げつつある首都・東京。この戦後最大のイベントの成功を望まない国民は誰一人としていない。
そんな気運が高まるなか、警察を狙った爆破事件が発生。同時に「東京オリンピックを妨害する」という脅迫状が当局に届けられた!
しかし、この事件は国民に知らされることがなかった。警視庁の刑事たちが極秘裏に事件を追うと、一人の東大生の存在が捜査線上に浮かぶ…。
「昭和」が最も熱を帯びていた時代を、圧倒的スケールと緻密な描写で描ききる、エンタテインメント巨編。 (「BOOK」データベースより)
上下2段組、500数十ページの大作ですが、読み始めてすぐ、虜になって、これはあっという間に読み通せると思いました。
<犯人>がいかに犯罪を企て、実行するのかをたどるクライムノベル。
開会式までにという時限の中、僅かな手がかりからせまってゆく刑事たちの警察小説。
2本立てで語られる東京オリンピックの開催を、爆破の予告で阻もうとする<犯人>と警察の攻防が細やかに描かれます。
<犯人>が誰であるかは序盤で明らかになるのですが、そこに、<犯人>の大学時代の元同級生のテレビマンや、微かな恋心をいだいていた古本屋の娘などの視点が加わり、怒涛のようなサスペンスに、読む人を巻き込んでゆくのです。
警視庁の刑事たちがそれぞれに魅力的。
一方の、<犯人>も、その思考をたどるうちに、犯罪に手を染めることをいつのまにか納得させられています。
こんな重大な犯罪、どす黒く憎むべきもののはずなのに、時間を追うにつれて逆に犯人が透明感を増して見えてくるのです。
感想に書き記したい読みどころもたくさんあって、これはワクワクだ!というのが、はじめの印象でした。
ところが、読み進むうちに複雑な気持ちになってきました。
私の幼い日、日本中が晴れがましい気分で迎えたと聞く東京オリンピック。
その裏に、これほどのドラマがあったとは。
爆破犯と警察の攻防はもちろん(おそらく)フィクションなのですが、ここに描かれている社会構造は、おそらく事実なのです。
焦土から近未来都市へと瞬く間に発展した東京と、地を這う日々をかさねなくては生きて行けない地方の寒村。
世界に誇れる美しい都市をを作っている、手応えや誇りを微かでも感じられる人達と、忘れられたように、履き捨てられたように、底辺で働き続ける人々。
いま、よく耳にする<格差社会>という言葉が浅薄に響く気がするほどの、隔たりが確かにあったのです。
私が生まれたのは1961年。
5歳までは仙台市に住んでいたし、第一幼かったので、オリンピックの開会式のときのことは記憶にありません。
でも、サラリーマンの父の勤務先の社宅には、内風呂もあったしトイレは水洗でした。家にテレビもあって、どんどん日本が豊かになってゆくのと、我が家の暮らしは、それなりにシンクロしていたのだと思います。
けれど、横浜に引っ越してきてからも、駅につながる地下道はまだまだ土埃まみれで、いつも傷痍軍人がハーモニカを吹きながら物乞いをしているのでした。
通っていた高校でも、廊下の壁には学生紛争の傷跡があったし、級友に民青活動をしている人もいるとかいう話があったり…
そうなのです。私は、昭和に生まれて、育った人間なのです。
だから、この小説で描かれていることは、決して虚構のエンタテインメントではない。
知っていなければならない、覚えておかなければならない、日本の歴史の一場面。
そう思えてからは、すいすいと読み進むわけにいかなくなりました。
1章読んでは引き返し、進んでは読みなおしました。
東京オリンピックは、<無事に>開催されました。
どの資料にも、当時の日本中の人々が、そのイベントをどれほど誇らしい気持ちで支えたかと書かれています。
それを知ってはいたけれど、その後ろに、奥に、いろいろな立場の人がいたことを、あらためて気づかされました。
本の厚さ、重さ以上に、ずっしりと響く作品でした。
ラストも爽やかで、明るい読後感を得ることができます。
けれど、このところずっと、抱き抱えるようにして読んできた一冊だったので、終わってしまうのが残念。残念です。