日本人は拝金主義か?
拝金主義・・・あまり聞こえのいい言葉ではありませんが、不動産投資とか、海外資産づくりとか、お金に関わる活動をやっていると、いろんなところで、よく耳にする言葉です。日記のタイトルで書いた、「日本人は拝金主義か?」・・・この種の議論は、あまりに茫漠として、とりとめがない。拝金主義という言葉の定義自体、おそらく不可能。結局は、個人の感じ方の問題であり、「埼玉県と福井県、どちらの暮らしが豊かか?」みたいな、永遠に結論の出ない、泥沼の議論になるのは、間違いない。しかし、客観的な定義を最初からあきらめ、「個人の感じ方」という軸を、所与のものとして受け入れれば、それなりに面白い議論はできるかと思います。日本のような、高度な物質文明が発達した社会で育った、大人であれば、「お金の価値」を分からない人は、まずいない。会社で働いて、お客を喜ばせる、スキルがつく、自己実現できる・・・だから、「給料はゼロでもいい」みたいな人は、まずいない。お金は生活で間違いなく必要だし、いくばくかのお金を得れば、たいてい、もっと欲しくなる・・・それも人間の性。したがって、大人が何らかの行動をする場合、何らかのかたちで、「金銭的利益」が、動機のなかに含まれているのは、当然のことだと思う。ただ、明らかにお金目当てだと、他人から見られるのは、あまりイケてないですよね。そういう本音を、心にしまい、オブラートに包むのが、大人のマナーという面も確かにある。医師ブラックジャックみたいに、「俺は、人助けしてるんじゃない、金のためにやるのさ」みたいなセリフを、うそぶいて、サマになる人は、世の中に多くはない。私たちの多くは、会社で働いていると思いますが、その動機は何か?多くの人は、たとえば「40%がお金のため、20%がお客を喜ばせるため、20%がスキル・キャリアアップのため、10%が社会的地位のため・・・」みたいに、動機のなかに、ある程度、「お金」は含まれているけど、それが全てではない・・・はずです。私思うに、誰かが、他の誰かをことを、「拝金主義者」と感じるのは、いくつかのパターンに類型化されるでしょう。1)何かをするときに、動機のなかに含まれる「お金目当て」の成分が、世の中の平均より明らかに高い場合2)「激安物件を年利20%で回す」、「資産を海外に移す」みたいに、世の中の多くが知らない方法で、資産を増やす術を知っている場合3)自分が普段体験しない、「お金がかかるライフスタイル」を知ってショックを受ける場合。たとえば、駐車場などタダ同然の地方で暮らす人が、東京で、駐車場借りると月3万円も取られることを聞くと・・・「東京の人は、何でもお金儲けだねえ」と思う。4)「正義」を標榜する政治団体の、イデオロギーに酩酊するような人が、「少しでも、金銭的利益が動機のなかに入るのは許せない」と考える時、フツーの社会人がやってる常識的なことが「拝金主義者」にみえる。ですので、同じ人が、同じことをやっても、どういう視点から見るかによって、拝金主義者に見えたり、そうでなかったりするわけですね。ちなみに私・・・・自分のことを、拝金主義的とは思いません。もともと、あまりお金に執着ないし、お金のかかるライフスタイルが好きじゃないし、学生の頃から、金銭的な見返りなど求めない、ボランティアもよくやってきたし・・・一方で、投資家として、お金にシビアな面は、当然あります。不動産投資、金融投資、事業投資では、思い切り営利を追求します。とはいえ、私が何かするとき、その動機のなかで「お金目当て」の成分は、相対的にみて、あまり高くない。少なくとも、上記の1)のパターンの、拝金主義者ではないと、自分では思っています。一方で、2)グローバルな視点で多彩な投資技術を駆使している、3)お金のかかる東京で暮らしている、4)自分は清貧イデオロギーに酩酊する人間ではない、という点で、見方によっては、拝金主義者っぽく見えることは、あるかもしれません。考え方は、人それぞれ。あと、日本人全般に関して・・・この国民は、近隣諸国や、似たような経済レベルの国の人に比べて、拝金主義的とは全然思いません。逆に、「お金に淡泊、無関心」な人の割合が多いし、あからさまな「金儲け」を嫌う文化でもあると感じます。私が、かつてオーストラリアとか、中国に住んでいた時も、今と同じように、ITエンジニアとして会社で働いていましたが、職場で「不動産投資」や「副業」など、「お金の話」をする頻度は、今(日本の職場)よりずっと多かったです。いずれも、アフター5の時間の使い方は個人の自由だから、それぞれの方法で、金儲けしている奴、多かったですね。私は、その位、全然気になりませんが(むしろ好きですが・・・)、その程度を「拝金主義的」というのなら、これらの国は、日本よりずっと拝金主義的、ということになってしまいます。