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Manachan's World-東京下町日記

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2005年11月21日
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カテゴリ:大連の暮らし
月末の給料が出たら、電子ピアノを買おうかと考えています。できれば持ち運びができて、消音機能のあるやつを。

というのは、12月の中旬に、職場の年末パーティーがあるのですが、その余興に、何かやってくれと頼まれました。その時、つい口をすべらせて、「ピアノならできるけど・・・」と言ってしまったのです。その翌日にはもう、「私がピアノを演奏する」ということが、すでに規定事実になってしまい、もはや後には引けなくなってしまいました。

ま、別にパーティーの余興じゃなくても、いずれ、ピアノは買うつもりでしたけどね。せっかく娘が生まれたので、「ピアノのある家庭」を目指したい・・・。

私は一応、ピアノ学習歴が6年あります。自習期間も含めると、全部で8年になります。ピアノを習いはじめたのは、小学校一年の時。当時は、千葉県の柏から東京の文京区へ、一家揃って移住していた頃です。当時(1975年)、都内と柏との「文化格差」は大変なものがありました。美術館、大学、コンサートホール、レストラン、喫茶店文化・・・街中に溢れる文化の香りに、私たちは圧倒されていました。母が、私と妹にピアノを習わせようと思い立ったのも、花の都の文化に、感化されてのことです。

ピアノを習いはじめて間もなく、私に、絶対音感が備わっていることが分かりました。どんな和音でも、4~5音までなら、どんなにシャープがついていても、瞬時に聞き分けられました。同時に私は、「ドレミファソラシド」を「12345678」と、瞬時に数字に変換して頭のなかで処理する、デジタルな能力も持ちあわせていました(その逆もできる)。絶対音感とデジタル処理能力のおかげで、私は「文京区小日向のヤマハ音楽教室始まって以来」という、猛スピードの上達を見せました。ピアノ習い始めから1年足らずで、バイエルの上巻と下巻を終え、その次のブルグミュラーも4ヶ月で終えてしまったのです。

これには、ピアノの先生もビックリ!挙句の果てには、「マナブくんを是非、ウィーンの音楽学校に行かしてみたらどうか?」という話も出てくる始末。こういう発想が出てくるところに、東京文化の厚みを感じます。ところが間もなく、我が一家は、草深い柏へ帰ることになってしまいました。当時の柏では、河合ピアノ教室ができたばかり。やたら暑苦しいプレハブ教室で、田舎臭いレッスンを行っていました。ウィーン行きの話など、もちろん、忘却の彼方に去っていきました。

その後も、私はピアノを習い続けましたが、ソナチネと、チェルニー30番あたりで、行き詰ってしまいました。その理由は簡単で、要は私の演奏には、「味わいがない」、「曲想が表現できていない」・・・。ま、そりゃそうでしょう。私がピアノを弾く時は、100%デジタルの感覚で、機械的に指を動かしてキーを叩いているだけなのです。「曲想」なんていうアナログ的な要素が入り込む余地など、全くありません。

また、「男の子がピアノを習っているのがやたら珍しい」という事情もありました。柏では毎年、ピアノの発表会があったのですが、毎回毎回、大勢の女の子のなかに、私ひとりがポツンと黒一点で、寂しい思いをしていました。当時私はまだ幼くて、スケベ心なんてありません。成長するにつれて、「自分は男の子だ」というジェンダー感覚が芽生えてきますから、そんな時、「どうしてボクは、男の子なのに、女の子と同じことをしているんだろう?」という疑問が、にわかに湧いてきました。

そしてついに、私がピアノ教室から決別する日がやってきました。当時の柏は、外観こそ都会ですが、人々の考え方は田舎そのもので、「ピアノなんかやってる男は、男らしくない!」という、マッチョな価値観がまかり通っていました(注.今はずいぶん変わりましたけどね)。私もそれに影響されて、ある日突然、「ピアノなんか、もうやらない!」と、投げ出してしまったのです。当時、中学校1年生。ソナタと、チェルニー40番を始めたばかりの頃でした。

その後、ピアノの鍵盤を全く叩かない、ブランクの日々が2年ほど続きました。ところが奇しくも、柏の「田舎さ」が、私を再び、ピアノの鍵盤に向かわせる日がやってきました。それは、中学3年時の合唱コンクールでした。コンクールに参加するには、クラスに一人、ピアノ伴奏をやる生徒が必要なんですが、私のクラスでは女子生徒を含めて、適任者が見当たらなかった。そこで急遽、経験者の私に白羽の矢が立ったのです。そうして、私とピアノとの付き合いが、再び始まったのです。

その後、私は都内の高校に入り、部活は「音楽部」を選びました。ここで私は再び、「東京の凄さ」を思い知るのです。柏では、女の子も含めて、同学年で自分よりピアノの上手い人間なんてほとんどいなかったのに、東京に出てきたら、もっと凄い奴がその辺にゴロゴロいる。しかも、男女全く関係ない。男の子でも、海外のなんとか音楽学院に行ったことのある奴までいて、私などは全く歯が立たない。でも、そういう優れた連中に良い意味で感化を受けつつ、大学受験勉強が始まるまでの2年間は、ピアノを結構まじめに自習していました。

その後、大学に入ると、バックパッカーで世界を放浪したこともあって、ピアノからは遠ざかってしまいました。ですが、旅先の各地、特にキリスト教が盛んな国々(フィリピンや米国)で、教会のピアノを弾かせてもらったり、タイの小学校でピアノを弾いたりと、それなりに、細々としたお付き合いは続けてきました。だから今でも、鍵盤を叩く指の感触は残っていて、ちょっと練習すれば、高校当時に弾いていた曲くらいなら、演奏できると思います。

ここ大連でも、子供にピアノを習わせるのが最近流行のようで、私の住んでいるマンションでも、時々、ピアノ練習の音が聞こえてきます。ああいうのを聞くと、自分も、昔とった杵柄で、ちょっと弾いてみたくなります。

我が家に、ピアノの音が復活する日も近い???





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最終更新日  2005年11月21日 03時58分58秒
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