なんちゃって講師をやることになった。
撮影の行き帰り、クルマの中でエージェントのライアンを相手に得々と「演技論」を語っていたら、「それを若い連中に聞かせろ」と言われた。ライアンはなかなか真面目なやつで、、事務所地下のスタジオを会場にして、毎週土曜日には演技のレッスンを、日曜日にはダンスのレッスンを、それぞれ2時間ずつ開いている。所属の「若い連中」が何人か通っていて、受講料は必要ない。「演技のレッスン」では、普段はライアンが講師になって、「10段階の異なる笑顔を表現せよ」とか「一人芝居」とか「二人芝居」とかを、各自にやらせてそれをビデオに撮って、後でまた全員でそのビデオを見ながら検討を加える、というようなことをやっている。「ダンスのレッスン」では、外部から講師を招いて、1時間ずつ2種類のダンス(例えば、前半タップダンス、後半ジャズダンス、など)を、毎週計2時間やっている。俺もとりあえずその「ダンスのレッスン」なんかは運動にもなるし参加してみたいな、とか思っているんだが、いかんせん秘密コンテンツ発信基地がらみの秘密コンテンツ作りやら秘密取材活動やらがよく入ってくるし、そういう予定がないならないで日曜日には洗濯とか料理とかそういう家事系事務を一気にこなさなければならず、いきおい事務所の「レッスン」には参加できないでここまできたんである。ところが今週の土曜日はその「演技レッスン」の場で俺にその「演技論」を語れ、ということになったんで、今週の土曜日は何とか秘密基地の方はお休みに出来れば、いや、少なくとも午後の数時間は中抜けできれば、と思っている。ということで、「週の後半にならないと土曜日に時間が作れるかどうか分からんが、極力行くようにする」と答えたところ、ライアンは、「実は土曜日は用事で高雄の方へ行かなきゃならないんだよね。で、レッスンの時間までに帰って来れるかどうか分からんのだわ」と言うのであった。俺はあんたの穴埋め要員かい。ま、それはともかく、現段階で演技についてぼんやりと考えていることを、このレッスンをきっかけにして少しでも明確に出来れば、それは俺としても悪いことではない。このブログにもメモしておいて、後で読み返しながら反省したい。もとより、「演技について確固たる理論をもっている」ことと「演技ができる」こととは、鳥類学者が飛べるわけではないのと同様、全く別のことがらに属する。俺の考えがすばらしいからと言って俺の演技がすばらしいわけではないのはもちろんだ。しかも、「俺の考え」だってすばらしいとは限らん。どちらかと言えばすばらしくはなかろう。そんなものを敢えて他人の目に触れる場所に書き付けるというのもなかなか破廉恥な所業であるが、脳内から取り出さないといつまでもはっきりしてこないので、エイヤと書き込む次第である。〔テーゼ1〕演技には〈リラックス〉、〈越境ジャンプ〉、〈素養発現〉の3つの相(フェイズ)がある。〔テーゼ2〕演技の作業は〈リラックス〉→〈越境ジャンプ〉→〈素養発現〉の順となる。〔テーゼ3〕演技の準備は〈素養の蓄積〉→〈越境ジャンプへの信頼=越境ジャンプ力〉→〈リラックスする能力〉という論理的順序で達成される。〔テーゼ4〕〈素養〉には〈身体的素養〉、〈感情的素養〉、〈知的素養〉の3つの相(フェイズ)がある。なんかこれだけで終わってしまうのもなんなんで、いろいろと具体的なお話を付け加えて多少は分かりやすくしたいと思うんだが、基本的にはこれだけの話である。いずれ先達の皆様方がどこかで言ったり書いたりしているはずのことだと思うんだが(少なくとも「リラックス」と「感情的素養」についてはリー・ストラスバーグ先生が口を酸っぱくして言ってる)、「演技できない」けど「役者やりたい」と思っている若いやつら(と俺自身も)を、何とかその気にならせるためには、さてどのように「講師役」を演じるのか、と、そういうことになっているんである。つうか、上記「理論」を中国語で展開しないといけないんですけど……。とりあえず明日も朝が早いんで今日はもう寝る。