塚本慶一先生の講演会からの啓発
十何年ぶりか、北京外国語大学に足を運ぶのは。家から1時間半かけて、西の方へやってきました。(最近、遠出が多い)学生たちは目がキラキラ輝き、やる気に満ち溢れていました。(若いって素晴らしい~)10月31日、知る人ぞ知る日中同時通訳の権威である塚本慶一氏の講演会に参加してきました。会場には定員をはるかに超える200名弱の参加者が集まりました。さすが塚本先生の人気は絶大であります。ユーモアもあり、笑いもとりながら、重要な点や深刻な話をきちんと伝えるところは、さすがです。なんといっても、塚本先生の通訳と通訳者の育成という役職にかけた情熱に感動しました。最後に、参加者との質疑応答の時間がありました。すでに現役で同時通訳で活躍されている方からの質問で、「毎回通訳の前日は緊張しないのですが、通訳が終わった晩、自分の訳を考えてしまい、夜も眠れなくなります。自分の声の録音を聞けば聞くほど、自分に失望し、どんどん自分が嫌いになってしまいます。どうすればよいでしょうか。」というなんとも中国人らしい質問でした。塚本先生の回答が本当に面白い。「あのね、自分の声を初めて聴いたときはね、ショックでした。(笑)前日は緊張する暇はない。忙しい。大量の資料に目を通さないといけないからね。通訳が終わったらもう考えない。なぜなら、次の仕事があるんだから。自分はベストを尽くしたと自分に言い聞かせなければならない。録音もしない。仲間と健闘をたたえながら、次の仕事のために準備をする。何度も何度も反省しないで。君は悪い人じゃないんだから。(笑)」という感じで、会場も和みます。また、通訳への批判や中傷は必ずある、ということも、精神的に強くなければできないことの理由の一つ。通訳や翻訳の出来が悪かったとたたかれ、批判されても、めげずに、努力を続けること。未熟な時期は誰にでもある。今の自分の精いっぱいの力を出し切ったのだと自分を信じること。周囲の声に打ち勝たなければ未来はない。周囲が勝つか自分が勝つか。自分の人生だから、自分が勝ち続けなければいけない。この言葉の重みをじっくりとかみしめたいと思います。私も通訳という仕事から離れて長いため(少なくとも5年以上は経つかな)、言葉を操ることの勘がにぶってしまっています。今後、日中間のつながりがますます深くなり、需要が高まる中で、中国人の優秀な通訳者はいても、日本人の感覚を理解する通訳者の不足が問題となってくるのは間違いないでしょう。中国語を完璧に理解し、日本語らしい表現ができる人材の育成がもっとも深刻な問題だということです。また、最近注目されてきている医療通訳のマーケットにおいてもご紹介されました。例えば、東京でいえば、医者と通訳であれば、圧倒的に医者の立場が強い。病院がバックアップするわけですから。診断においても、通訳後の診断で、何か問題(死亡とか悪化)があった場合、責任のリスクが大変重いなどが問題となっているそうです。2008年の北京五輪の時は、私も現役で(つたない)通訳をしていました。そして、東京五輪、北京冬季五輪の開催にもむけて、もう一度通訳のスキルを磨く訓練をしようかな~と迷っている今日この頃です。迷いが生じたときには、この詩。朱熹の偶成少年老い易く 学成り難し一寸の光陰 軽んずべからず未だ覚めず 池塘春草の夢階前の梧葉 已に秋声「若者はアッという間に年をとってしまい、学問はなかなか完成しにくい。だから、少しの時間でも軽軽しく過ごしてはならない。 池の堤の若草の上でまどろんだ春の日の夢がまだ覚めないうちに、階段の前の青桐(あおぎり)の葉には、もう秋風の音が聞かれるように、月日は速やかに過ぎ去ってしまうものである。今も昔も人生は短く学問の道は遠い 前半二句は今でも親や教師が口にしそうな若者向きの学問のすすめです。後半二句の具体的な比喩(ひゆ)が説得力をもっています。若さをむさぼり楽しんでいるうちに秋風が吹いてきて人生は終わりに近づくのですよと諭(さと)しています。いわゆる勧学(かんがく)の詩として最も親しまれています。」(訳:関西吟詩文化協会http://www.kangin.or.jp/top.htmlから抜粋)詩吟が聞きたい方もこちらから聞けます。