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ありがとう仙人の幸せ玉手箱

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2011年03月16日
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カテゴリ:心理相談

前回からの続きです。ぱー


前回の話はこちら↓
http://plaza.rakuten.co.jp/newtral343/diary/201103020000/


さぁ、今から、あなたが驚くようなことを言います!

実は、「内側を変えれば外側は変わる」というのは、絶対的な法則ではありません。


えぇぇぇ~~~っ!びっくり


ははははっ!


というのも、真理は言葉では表せないからです。

言葉にした真理は、どれも一面的な事実に過ぎません。


OSHO曰く、

「言葉はすべて二元的だ。反対の言葉がなければ、言葉を持つことは出来ない」



言葉にした以上、必ず、反対の説明が成り立つのです。

昔から、「運命は変えられる」という説と、「運命は決まっている」という
反対の説が議論されているのは、そのためです。OK



言葉にした以上、反対の説明も必ず、成り立つのです。

だから、「内側を変えれば外側は変わる」と、言葉にした法則を絶対的な真理だと
思い込むと、偏ることになり、苦しみます。


どんな法則も絶対的だと信じないことです。

信じると、それが固定観念になり、あなたを不自由にします。

固定観念が人を不自由にしているのです。OK


例えば、イエス・キリストの時代、安息日(日曜日)は、食事を作ることも
禁止されていました。

「安息日は働いてはならない」という固定観念があったからです。


だから、子供がお腹を空かせても食事を作ることは許されませんでした。

「食事を作る」ことは、働くことに該当するからです。

なんて不自由なのでしょう?


そこで、イエスは民衆の固定観念を壊すために、言いました。

「安息日は人のためにあるのであって、安息日のために人があるのではない。
 分かったか?」

「イエス!」(笑)


がはははは…っ!大笑い


この言葉で民衆は自由になりました。

愛天使
↑挿絵 天使絵描き:森葉子さん




このように、我々を不自由にしているのは固定観念なのです。OK

実際、固定観念があると、相手の言葉を素直に聞けません。


このメルマガもそうです。

例えば、「プラス思考で生きるべきだ」という固定観念がある人は、
このメルマガで「24時間、プラス思考の状態で生きることは出来ない」
と言われると、聞く耳を持ちません。怒ってる


固定観念は、相手の言葉を湾曲してしまうものです。

だから、自分の都合良いように解釈し、話を翻訳し直してしまいます。

つまり、固定観念がある人は耳が不自由なのです。


「そんなこと言っちゃイヤー」(笑)


がはははは…っ!スマイル



OSHO曰く、

「あなたには固まった考え方がある。

そういうものが、あなたが理解することを許さない。

あなたは公式を持っている。

しかし、理解の人というのは、自分自身について何の公式も持っていない。

あなたがあらゆる固定観念、理論、概念から完全にクリアーでない限り、
あなたが何を理解しても、それは決して理解などであり得ない。」




がはははは…っ!大笑い



固定観念を破壊するには、「どちらが正しいのか?」という考えを捨てることです。

エゴは、正しさは1つしかないと思い込んでいます。

だから、どちらが正しいのか決着をつけたがります。


しかし、本当はどちらも正しいのです。

ただ観点が違うだけです。OK


がはははは…っ!


これからは、「どちらが正しいのか?」という考えを止めて、
「どちらも正しい」というニュートラルな立場でいて下さい。


「どちらが正しいのか」という考えは、争いを誘発します。

が、「どちらも正しい」という考えからは、争いは起こりません。



「あなたは正しい。そして、私も正しい。見方が違うだけだ!」

こんな考えからは、争いなんて起こりようがありません。

だって、どちらも正しいのですから!OK


がはははは…っ!大笑い



もし、どうしても法則を信じたいのなら、OSHOが言う、この法則を信じて下さい。


「唯一の黄金律は、黄金律はないということだ。」


つまり、「絶対的な法則などないということが唯一の絶対的法則」なのです。


えぇぇぇ~~~~っ!びっくり



ははははっ!


絶対的な法則でない以上、その場の状況で法則を変えて良いのです。オーケー


例えば、罪悪感を抱くようなことをしてしまって自分を責めている時は、

「全てはシナリオ通りの人生を歩んでいるだけ」、「全ては宇宙の意思である」

という法則を用いれば楽になります。OK


また、不運が続く時は、「不運と幸運の総計は同じである」という法則を
用いれば楽になります。


「ふ~ん」(笑)


がはははは…っ!大笑い



また、願望実現をしたい時は、潜在意識の法則を用いれば楽になります。ちょき


その場の状況で法則を変えられる人こそ、固定観念のない自由な人であり、
ニュートラルな人なのです。


これを禅の世界では「無碍自在」と言います。

この禅の言葉、知ってました?


「ぜん、ぜん」(笑)


ははははっ!大笑い



法則は、その場に応じて、変えて良いのです。

なぜなら、法則は、どれも事実だからです。OK

ただし、一面的な事実ではありますが…。


ちょうど目的地に到着するまでに何回も電車を乗り換えるようなものです。電車

電車を乗り換えるように、目的地(悟り)に到着するまでに何回も法則を変えながら
生きていく人を「融通無碍」と言います。


つまり、まったくこだわりがなく自由な状態です。

自由に法則を乗り換えられる人を「融通無碍」というのです。



OSHO曰く、

「真理は語ることが出来ない。

だから、何を語り得たとしても、すべては美しい方便だ。

その方便は美しい。

なぜなら、それはあなたを真理に導くことが出来るからだ。

この美しい方便は役に立つ。

だから、ある意味で、いくらかの真理の香りを帯ている。」




言葉にした真理は、方便である以上、自分が直面している状況に応じて、
真理を活用することが賢者のすることなのです。


がはははは…っ!大笑い


ハッキリ言います。


本当は、内側も外側もないのです。



えぇぇぇ~~~っ!びっくり



ははははっ!


内側と外側は一体なのです。

だから、内側とか外側というのも、実は方便なのです。

人は、とかく外側に意識が向かうものです。



ですから、マスターらは、「内側に意識を向けよ」と言わなければならないのです。OK


そうして初めて、偏りが修正されて、バランスが保たれるからです。

内側に意識を向けるのは、あくまでも、偏らないようにするための方便なのです。


本当は、内側も外側もないのです。



だから、内と外の両方から取り組むことがニュートラルな道であり、全道なのです。


OSHO曰く、

「外側は外側ではなく、内側はただの内側ではない。

内と外はつながっている。

内側と外側という区別もまた、虚偽だ。

ある面ではいい。

あなたは外側に生きている。

だから、内側に向かうようにと言われなくてはならない。

しかし、内側と外側は同じコインの両面だ。

ある日、両方とも落とすようにと言われねばならない。」



何でも内側だけで解決しようとせず、また、何でも外側だけで
解決しようとしないでください。

内側にも外側にも偏らないニュートラルな道を歩んでみて下さい。

楽になりますから!

ご清聴、ありがとうございました。バイバイ


日本赤十字社 東北関東大震災 義援金受付
          https://gienkin.jrc.or.jp/



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最終更新日  2011年03月16日 12時01分56秒
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