カテゴリ:人生
みなさん、こんにちは! どんなに文明が発展しても、人の苦しみはなくなりません。 そこで、悟りを得たマスターらは、人々の苦しみを軽減するために、色々な道を示しました。 しかし、マスターらが示した道は、目の前の苦しみを解決してあげることではなく、 人々に「無」を体験させることでした。 なぜなら、目の前の苦しみを解決しても、内側が変容していない限り、再び新たな苦しみを作り出すからです。 真に、苦しみから解脱したいのなら、内側を変容させるしか方法がないことをマスターらは、 体験的に知っていたのです。 そして、人々の内側を変容させるには、「無」を体験させることが不可欠だったのです。 「無」とは文字通り、「自我が無い」状態のことです。 自我が無い時、在るのは霊(内なる神)だけです。 そこで、マスター(道師)らによって、「無」を体験出来る独自の技法がたくさん生み出されました。 マスターらは、「無」を体験させることを最終目的としていました。 坐禅、瞑想、祈り、マントラ、ヤントラ、タントラ、ヨガなどの究極の目的は、 「無」を体験することにあります。 では、なぜ、「無」を体験することがそんなに大事なのでしょう? 「無」を体験すると、どういう変容があるのでしょうか? このことを理解するには、スピリチュアルな説明が必要になります。 というのも、「無」を体験させようとしているのは、スピリチュアル体験をしたマスターだからです。 だから、「無」を体験させる理由も、スピリチュアル的な理由からなのです。 がはははは…っ! なぜ、「無」を体験することが大事なのか? 「そんなことも知らないの?」 「ムッ(無)」(笑) がはははは…っ! 人間は、大きく分けると、3つの層から構成されています。 3つの層とは、肉体・心・魂(霊)です。 運動法は、肉体を浄化するのに有効です。 肉体は3つの層のうち、一番外側の部分です。 暗示法、イメージ法、叫び法などの行法は、心を浄化するのに有効です。 心は3つの層の二番目の部分です。 心理行法は、潜在意識を浄化することは出来ますが、最奥の超意識(霊)までには働きかけられません。 また、潜在意識は「無限の倉庫」とも言われていて、潜在意識の中には、心の垢が無限に蓄積しています。 1回の心理行法で潜在意識を掃除出来るのは数個です。 しかも、日々、新たに別な垢を潜在意識に蓄積しています。 なので、心理行法だけでは不十分です。 潜在意識に蓄積している垢を大量に掃除したいのなら、超意識(霊)に働きかけなければなりません。 坐禅や瞑想、祈り、マントラ、タントラ、合気道などの行法は、霊(内なる神)を顕現させるのに有効です。 霊(内なる神)は3つの層の一番奥の部分であり、人間の中核です。 従って、霊(内なる神)を顕現させれば、肉体も心も浄化されるだけでなく内側が一気に変容されます。 すると、人間の本質である愛が湧き上がってきます。 さらに、霊(内なる神)が顕現すると、人生に必要な力が必要に応じて湧き出てきます。 そうなれば、人生に何事があろうと、颯爽と生きていくことが出来るのです。 だからこそ、霊(内なる神)を顕現させる、つまり、無を体験することが重要になってくるのです。 がはははは…っ! 肉体・心・感情を1つ1つ順番に浄化するのを待っていたら切りがありません。 しかも、仮に浄化しても、内側が変容していないため、再び、エネルギーブロックが蓄積してしまいます。 つまり、浄化しても、新たなエネルギーブロックを蓄積させるため、切りがないのです。 そこで、「無」になる必要が出てくるのです。 「無」になれば(自我がなくなれば)、「霊」が顕現します。 たとえ「無」を体験する時間が数秒だったにしても、そのわずかな時間で肉体・ 心・感情が一気に浄化され、さらに内側が少しずつ変容します。 自覚は湧かないかもしれませんが…。 無(霊)には、それだけのパワーがあるのです。 だからこそ、マスターらは、「無(霊)」を体験させたがるのです。 内側を変容させるには、「無(霊)」が不可欠なのです。 インドの覚者・OSHO曰く、 「身体は身体しか含まない。心は、身体と心の両方を含む。 そして魂(霊)は、その三つ全てを含む。高次のものは低次のものを包含するが、その逆はない。 これは心に留めておく重要な法則の一つだ。 高次のものに働きかけるなら、低次のものは、自ずと解決される。 霊は、あなたの存在の三つの次元を全て含んでいる。 だから、私の関心は、あなたの霊的な成長にあるのだ。」 わはははは…っ! 合気道などは霊を顕現させるのに有効ですが、単に稽古するだけでは不十分です。 その後、坐禅や瞑想、お祈りなどの行法をする必要があります。 心身を浄化した後に坐禅や瞑想をした方が「無」を体験しやすいからです。 いきなり坐禅や瞑想をしても、雑念ばかりで無を体験することは至難なことです。 運動法や呼吸法を行った後に、坐禅や瞑想をした方が無を体験しやすいのです。 にもかかわらず、運動や武道をやったら、「ああ、いい汗かいた」と、それで終わる人が多いのです。 もったいない。 その後に坐われば、無を体験出来るかもしれないのに…。 ありがとう仙人の合気道場では、稽古後、坐禅(安定打坐法)をしています。 なので、ほとんどの道場生が「無」を体験しています。 「無」の体験は人生最大の体験です。 これこそ、人生の目的の1つだと言っても過言ではありません。 がはははは…っ! 中村天風先生は、誰でも容易に「無」を体験することが出来る「安定打坐法」という坐禅法を 創始してくれました。 この「安定打坐法」を行うと誰でも簡単に「無」を体験出来ます。 最初は1秒くらいしか体験出来ませんが、たとえ1秒でも、その間に浄化する量は膨大であり、内側の変容も確実に起こっています。 そして、1秒の無の体験を積み重ねているうちに、内側が変容し、やがて霊が長時間、顕現した状態になるのです。 すなわち、安定打坐法を続けていると、必要な時にインスピレーションが湧いて来て、 人生の一大事に遭遇しても難を乗り越えることが出来ます。 だからこそ、天風先生は「安定打坐法」を一番重要視していたのです。 天風先生は、言っています。 「極論を言えば、心身統一法は安定打坐に始まり、安定打坐に終わると言えるのである」 がはははは…っ! しかし、誰でも簡単に「無」を体験出来る安定打坐法でさえ、いきなりは上手く出来ません。 運動法や呼吸法をやって肉体と心を浄化してから坐わならければ無は体験できないのです。 つまり、この「霊(内なる神)」を顕現させるのもかなり根気が必要です。 どんな行法も根気が必要なのです。 自我がすぐに結果を得ようとします。 自我が強い人は根気もないのです(断言)。 霊を顕現させるには、肉体行法、精神行法だけでなく、瞑想や坐禅などの行法を併用しながらやることです。 3つの行法すべてが大切なのです。 その証拠に、かつてマスターらが示した技法は、肉体・心・感情を浄化する3つの行法が組み合わされています。 インドのマスター・OSHOは言っています。 「現代人ほど急いでいる人々は、いままでにいない。 昔の人々は、現代人ほどせっかちではなかった。 現代人は物事を即座に求め、いま欲しがる。 それが障害だ。 まったく忍耐のないハート。 絶えず走り、突進し、結局どこにも到達しない。 なぜなら、内なる魂が望むことは、どれも待つことを必要とし、時間を必要とし、 沈黙(無心)を必要としているからだ。」 「無心(沈黙)」 これが内側を変容するキーワードであり、人生を変容させるキーワードなのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月22日 10時32分38秒
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