テーマ:戦争反対(1185)
カテゴリ:平和
さて今日は15番まで行ってしまうことにします。
壁の色がさっきまでと比べてかなり白っぽくなってきました。 ひん岩という岩石(学校で習いましたよね、火成岩の中の半深成岩の一つ)で、 これをズリにして外へ出すと太陽光で反射して遠くからも見えるということで、 子どもたちを動員して草や枝を被せたのです。 11番に来ると、こんな掲示板が立っています。 ![]() 左は日韓のワールドカップサッカーの会場の一つになった韓国の都市名です。 「大邱」の他にも、壕内には「密城」などの文字も残っています。 右側の絵は何に見えますか? 人の顔に見えますね。 ただ、どんな人の顔なのかはわかっていません。 どちらも公開部分で見ることはできないので、写真に撮ってここに張り出した訳です。 この他にもいろんな文字や符号などが、暗闇の壁に残っています。 カンテラのすすで書かれたと推察できるこの文字や絵は、 60年の時間の流れが作用して、だんだんと薄くなっているそうです。 壁の中に消え入るのも時間の問題かもしれませんね。 10番、11番の壕にはっきりと残っている跡があります。 それはこれ。 ![]() 地上に溝が見えますね。これはトロッコのレールの枕木の跡です。 トロッコにズリを積んで運び出す際に、すき間から砂が地面に落ち周囲に積もります。 枕木を取り除いた結果が溝が残ったのですね。 行き止まり15番壕まで来ました。 頭上を見てください。 ![]() 岩に木材が残っています。これは測量をするための基点にしたそうです。 木材の先端に釘が打ち込まれ(現在は湿気などで抜け落ちてありません)、その釘から重りをおろし、地面にもある基点と併せて垂直や水平及び方向を測量したと言われています。 この地下壕は20本の縦坑を順番に掘っていったわけでなく、各班が競争しながら掘ったと証言されています。単純計算すると、1日1メートル、前述のような測量をしながら、20メートル間隔を維持して掘り進んでいます。それなりに、高度な測量技術だったのでしょうね。 16番から20番は非公開で、暗闇の中へと続いています。 15番の反対側の金網を見てください。 ![]() 千羽鶴やメッセージなどが掛けられています。 この壕へ平和学習に来る児童・生徒たちが、自分の思いなどを書いたり折ったりして ここに置いていくのです。 県外からは、スキーや自然学習と地下壕をセットにして、修学旅行として訪れる中・高校生。 県内では、社会見学の一環としている小・中学生。 また、長野県のかなりの高校は沖縄へ修学旅行に行きます。 その事前学習として必ずこの壕を訪れてくれます。 なぜなら、 松代の地下壕群と沖縄とはとても深い因縁関係があるからです。 アジア太平洋戦争末期、国体護持を守るために「本土決戦」を考え、その準備を進めていました。米軍を沖縄に引き止めておき、その間に松代大本営を造っていたのです。 そのために沖縄では時間かせぎを強いられ、米軍の「鉄の暴風」を受けながら、県民を巻き込んだ悲惨が戦いが続けられていました。 「捨て石作戦」「出血作戦」などと呼ばれています。 再三再四、沖縄からは「降伏しても良いか」という打診が来ましたが、受け入れられず、1945年6月に松代大本営や地下御座所などがほぼ完成に近づいたという判断で、やっと沖縄は降伏をするのです。けれど牛島長官が自殺したあと、さらに一般県民は犠牲を多くしていきました。 かつてひめゆり部隊の生き残りの方々がこの壕を訪れた際に 「私たちが沖縄のあのガマの中で必死に戦っていた頃に、ここではこんな立派な壕を造っていたなんて…」と悔し涙を流したと聞いています。 国民を守るためでなく、戦争を遂行するために、 しかも国民を安全裡に戦争を終えるためでなく、国体護持のためにのみ この壕は造られているのです。 疲れましたね。 地下壕の中で語ることと、こうして文字にすることの違いは大きいですね。 はしょった説明で誤解が生じたらごめんなさい。 朝鮮人の話、舞鶴山地下壕の話、皆神山地下壕の話、戦後の話… それらは、いつか地下壕にいらした時にすることにしましょう。 実際に地下壕の中で、岩盤に触れながら、削岩機跡を見ながら やっぱりその方がわかっていただけるなあと、改めて思いました。 ![]() 沖縄に修学旅行に行きガラビ壕に入った高校生が、その中で遺品や遺骨を見て、自分たちの故郷にもあるこの地下壕を平和学習のために保存・公開したいという願いを持ったことから、運動がスタートしました。 「地下壕で亡くなった朝鮮の人たちの遺骨を探し、故郷に返してあげたい。平和祈念館を造って平和学習などの場にしたい」 もう20年の歳月が経ちました。 その高校生…「篠ノ井旭高校郷土研究班」、聞いたことありませんか。 現在は「長野俊英高校」と名称が変わりました。 その後、他校の高校生たちも「高校生平和ゼミナール」を結成し、松代から平和の発信を全国にむけて出しています。 その高校生たちが、大学生となり社会人となり、日本中、いや世界にも広がって「松代発平和の発信」をしていることは、本当にうれしいことです。 韓国の人たちとも市民レベルで交流が深まり、互いの国を訪問して理解しあっている姿も、うれしいことです。 平和祈念館建設への地元の理解も徐々に得られてきています。 もうちょっとです。 地下壕にいらして、そして皆さんの力を貸してください。 待っています。 最後まで読んでくださってありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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