135.士たる者、三日会わざれば・・・
※この文章は、2003~2006年に大学生・若手社会人向けに配信されたメルマガ『内定への一言』のバックナンバーです。135.「士たる者、三日会わざれば、相刮目して見(まみ)ゆべし」(三国志) 僕は福岡第6学区のD高校出身です。入学した頃は6期生で、伝統も歴史も知名度もなく、学区最下位の学校で、「行く学校がない奴」、「どうしても公立に行きたい奴」が入る高校だと、入学後に聞きました。 そんな高校では、「バカ」とか「アホ」という言葉があいさつ代わりに飛び交います。ケンカ、タバコは当たり前で、クラスの男子の3割近くが停学経験があり、センター試験の話などは、卒業するまでまず出てきません。まず、センター試験が何なのか、僕は知りませんでした。 授業など、もちろん聞いているはずもなく、先生を「ちゃん」付けで呼び、新任教師をからかい、卒業式の日に公衆電話ボックスに担任の先生を閉じ込めて集団暴行を加えた生徒もいました。禁止されているバイクを持っている生徒も多く、集まれば酒が入り、不純異性交遊も当たり前。毎年学年から10人近くが退学し、出席日数が足りなくて留年する生徒も。学校はおとなしい人間と不良に二分化され、たびたび学年集会が開かれては、そのたびに罰を受けて坊主にした生徒が増えていました。大学に行く人はおらず、一般入試と言えば停学、評定不足、出席不足、変人が受けるもので、予備校か専門学校に行くか、あるいはフリーターになる人がいっぱいいました。 そんな学校でも友達はいっぱいいて、皆短気でしたが、付き合えばいい人間ばかりでした。社会からは「バカ」、「アホ」と呼ばれていましたが、社会に出れば打たれ強く、営業や販売の分野で猛烈に頑張る人間や、20代で独立した友達もいっぱいいます。僕も1年までは下から30番目くらいのアホでしたが、2年の時の担任の先生との出会いで、一念発起して勉強するようになりました。その時に心の支えにしたのが、今日御紹介するある逸話です。 皆さんは「三国志」を読んだことはありますか?男子学生なら、読んだことがあるでしょう。日本人では知らない人がいないくらい、あまりにも有名すぎる歴史物語です。話の筋は誰もが知っていると思うので、説明は省きます。僕は、小学生の頃に行っていた床屋に横山光輝さんのマンガ三国志があったので、それを数年かけて(全60巻)読み終え、あまりの感動に中学に入ってからは吉川英二さんの小説を買いました。 あの、家庭的にも人格的にも荒廃して人が信じられなかった時期に、この小説を読んだ、ただそれだけのことで、どれだけ救われたことかと今でも感謝しています。 さて、三国志の「三」とは、言うまでもなく魏・呉・蜀の三国を指しますが、その中で東南部に位置する呉の国に、「呂蒙(りょもう)」という軍人がいたのを覚えていますか?三国志の登場人物の中では、おそらく孔明か曹操と人気No.1を争うほど優れた人材である関羽を計略によって捕らえ、処刑した人物です。悔しいほど頭が切れ、「上には上がいる」と、歴史の非情さと奥深さを感じさせてくれるあの場面に、どれだけ多くの日本人が、関羽の死を惜しく思ったでしょうか。 その呂蒙、実は「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」と呼ばれ、愚者の代名詞として中国語に残るほど、勉強嫌いで、勉強ができない人間だったのです。呉下の阿蒙とは「呉の国のバカな呂蒙」という意味です。すぐに頭が熱くなり、興奮すると目先の区別がつかなくなり、すぐに手を出してしまうという気性を責められ、主君・孫権からも、「あいつは強いが、なにせ頭が…」と言われていました。 呂蒙は、小さい頃から勇猛で正義感が強く、若い頃からその武勇を見込まれて、呉王孫権の武将として取り立てられ、魏や蜀との戦いで活躍しました。 そんな呂蒙、学問の方はからっきしダメ。劉備、曹操、孫権の三人の覇者の中で一番若い孫権は、呂蒙のためにその学の不足を惜しみ、呂蒙を含めた将軍たちに、「諸君らは若い。強い。しかし学がない。もっと学問に励み、心の眼を開いて、国民からも慕われる人間になれ」と訓示しました。 主君からの命とあっては、誰も逆らえません…と思ったら、呂蒙一人が口答えをします。 「私は戦いで常に忙しく、読書などしている暇はありません」。 孫権は間髪入れずに答えます。「何も学者になれと言っているのではない。少しでも書物を読み、昔のことを知っておかねば、ここぞという時に適切な判断が下せず、自らを損なうのだ。お前は忙しいと言うが、私だって若いころ、詩経、書経はだいたい読んだぞ。史記、漢書などの歴史書や、兵法に関する書物も読み、今ではずいぶんと役に立っておる。おまえは物覚えが早いから、学問をすれば必ずものになる。孔子様も、われ終日食らわず、終日寝ねず。思えり、益無し。学ぶに如かずと言っておられる。後漢の光武帝は、戦の中でも書物を手放さなかった。あの魏の曹操も、老いて学を好んだと言っておるではないか。おまえは忙しいから学問ができないのではなく、学問がないから忙しいのだ!言い訳をせず、ただちに勉強せい!」 豪胆な呂蒙も、国王から厳しく忠告されては、さすがにかないません。心機一転、優れた書物を読みあさり、短期間集中して、徹底的に学問に励みました。 それから数ヶ月の時がたちました。ある日、呂蒙の友人であり、呉の国の政治のブレーンでもある学者・魯粛(ろしゅく)が、呂蒙と議論を行いました。魯粛といえば、呉では軍事の周瑜(しゅうゆ)と並ぶ頭脳派で、ともに若い孫権を助け、建国の大業を担った人材です。 魯粛からすれば、呂蒙は愛嬌のある「猪武者」で、いつも世の中のことや人間、政治については、呂蒙に「教えてあげる」という関係でした。だから、「無学の呂蒙が、また難癖をつけてきおって…」と思っていたら…。 昔と違い、呂蒙にはとうてい勝てなくなっていたのです。あの、いつも主君から勉強しろと叱られ、腕力だけが頼りの呂蒙が、なんてことだ!と魯粛は驚きます。魯粛は負けを認め、呂蒙に言いました。 「昔、私は君のことを、単に勇猛なだけの人間だと思っていた。しかし今は違う。君の学問は大した物だ。もう君は、私の知っている呉下の阿蒙ではないようだな」。 それに答えて呂蒙が言った有名な言葉が、今日の一言です。 「士たる者、三日会わざれば、刮目して相見(まみ)ゆべし」。 意味は「男たる者は、三日会わなければ、お互いに目をしっかりと見開いて会わねばならない」。つまり、「人間は本気になれば、わずか数日の間で大成長を遂げ、以前とは違う人物になることができる。三日で変わることもあるのだから、以前と同じ人間だと思ってはいけない」という、呂蒙の気迫を表した言葉です。 「呉下の阿蒙」というのは、「昔のままで学が無い人」という意味でも使われます。いつ会っても話題が同じ人。いつ会っても「疲れた」、「眠い」、「きつい」と言っている人。そういう人は現代版・呉下の阿蒙です。 さて、あなたは、変わりたいですか?人に認められ、すごい、面白い、頼れる、一緒にいたいと言われたいですか?もしかして、そういう大変化のためには、すごい年月がかかると思い込んでいませんか?だから、「少しずつ、ちょこちょこ…」なんて遠慮して、時間をかけても何が身に付いたか自分でも分からないような、小手先の勉強を繰り返してはいませんか? 変わるには、3~10日の短期間でいいので、他の誘惑を一切排し、徹底的に勉強することです。成績や客観的評価は気にせず、ただ集中と継続を経験するだけで、自分の見え方が変わります。 そして、今気になっていることは、聞こえなくなるでしょう。今聞こえていないことが、聞こえるようになるでしょう。長い長い社会人生活、あるいは、あと一年前後の学生生活を劇的に変えるため、たった10日間くらい、本気になってあげてもいいですよね。 呂蒙は「バカにされて悔しい人間」でした。しかし学生の中には、バカなのをバカと言われて、不機嫌そうにうつむいて、後から陰でゴチャゴチャ言う人もいます。負けて悔しくない人間になったら、人生はそこで終わり。あとは何をしようが、一生負け続けるだけです。 あなたの努力が結果を決めるのではありません。あなたの目標が、引き出せる努力の総量を決定します。以前にこのメルマガでも何度か紹介しましたが、「10%のコストダウンよりも、50%のコストダウンの方がうまくいく」(松下幸之助)の考え方と同じ。目標が変われば、常識も変わります。 だから、「これくらい頑張っていれば、これくらいにはなるだろう」というのは間違いで、「こうなりたいから、これくらい頑張ろう」が正しいです。持っている能力を発揮せずに就活を迎えるのは、解ける問題があるのに解かず、あえて不合格を甘受し、行きたくない学校に行くようなものです。僕はなぜ、学生がそんなことをするのか、いつも見てて不思議に思います。 「10日後に1%成長しようと思うのと、10日後に2倍成長しよう」と思うのでは、最初から発揮される努力に差が生まれます。だから、正しく力を発揮したいと思えば、燃えるような情熱(怒り、喜び、悔しさ、疑問、楽しさ、正義感)を持つべきで、目標の有無、強弱が努力と結果を決めます。 ちなみに、昨日の日経に載っていた厚労省の最新統計では、大卒新入社員の平均年収は、2,320,000円だそうです。つまり… 月収なら →193,900円週給なら →48,475円日給なら →8,813円時給なら →1,101円 安心するのはまだ早いです。 これから、社会保険、年金、所得税、その他諸経費を差し引いたら、サラリーマンの「月収」が算出できます。サラリーマンとは、「40%はタダ働き(無給の奉仕活動)」という意味なので…。 9:00~12:00…無給月~火…無給1日~9日…無給4月~8月…無給23歳~35歳…無給 というふうに考えれば、学生が卒業後に就職して得られる「お給料」の正体が分かります。若い頃に手を抜いた人間からは、きちんと社会が差し引いてくれるんですね。実に公平な世の中です。我々経営者も、コストダウンがしやすくて助かります。「月給」と「月収」は違います。だから、実質的な新入社員の所得は、会社別の誤差上下10%を含むとしても… 年収なら →1,392,000円月収なら →116,340円週給なら →29,085円日給なら →5,287円時給なら →661円 これから、家賃、携帯電話、水道、ガス、電気、飲食、交際費、車、駐車場、ガソリン、保険、消耗品、雑費…などを捻出していけば、どうなるかは分かるでしょう。奨学金の返済もある人は、卒業初年度から「チキンラーメン生活」です。 つまり、「派遣社員の半分で、フリーターより少し上」というのが、大学生に下された一般的評価です。めちゃくちゃ悔しくないですか?呉下の阿蒙じゃなければ、絶対に悔しいはずです。だって、新卒初任給が「横並び」というのは、大学の勉強やその人の努力を否定している、ということです。 あなたがどこの大学に行こうが、何をやろうが、何を学ぼうが、どんな苦労や悲しみに耐えて努力しようが、それは全部「なかったこと」というのが、日本のサラリーマン社会です。それでは学生のためにあまりに惜しいと思うので、僕は孫権が呂蒙に忠告したように、皆さんに「ぜひビジネスと会計を学ぼう」と言いたいです。内定したって、何も変わりません。どんな内定をし、その先に何を描くかが、百倍も千倍も大事です。そのために「たった数日間」、燃えてみましょう。気迫が変われば行動、結果が変わります。そんな内定が、欲しくありませんか?呂蒙のようになるのは、あなたにも十分できることです。