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職の精神史

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2008.04.26
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※この文章は、2003~2006年に大学生・若手社会人向けに配信されたメルマガ『内定への一言』のバックナンバーです。


251.「学ハ先ズ不言ヲ習フベシ」(論語)


「読んで心が痛む本」を持っておくのは、若い頃には特に、大切なことです。それが一生を通して繰り返して読める本であれば、なお良いでしょう。僕の場合は、「そういう本はあるか」と聞かれたら、真っ先に挙げる本が2冊あります。

「論語物語」(下村湖人・講談社学術文庫)と、「論語と算盤」(渋沢栄一・国書刊行会)で、若い頃から何度も何度も読み返してきて、今ではほとんどの内容を暗記してしまっている本です。「論語物語」は、2年前の新年から3ヶ月間、大濠のミスドで朝7時から、当時3年生だった隈本さん、芝田さん、宮田君と一緒に読みました。子路や子貢、顔淵、伯牛といった個性的な弟子たちは、誰もが皆、長所と短所を備えており、思わず感情移入してしまうような個性的な人物ばかり。寒い朝から、みんなで孔子様に説教され、「いやぁ、気持ちがすっきりした!素直にいこう!」と一日を迎えたのも、今ではいい思い出です。

「好きな本は?」と聞かれて「論語」と答えると、「固い」という顔をされますが、そういう顔をする人ほど、論語の「まえがき」すら読んでいません。論語はとても常識的で、読みやすく、温かくて本質を突いた言葉に溢れた古典です。いつ読んでも、学ぶことがあります。論語関係では、山本七平さんの「論語の読み方」(祥伝社)も名作ですが、論語を扱った作品を書いた人は皆、「孔子は偉大な常識人だ」という意見で一致しています。

「儒教」が宗教ではない理由、というか論語の特徴は、「子、怪力乱神ヲ語ラズ」という言葉にもあるように、「怪=超常現象や超能力」、「力=権力」、「乱=男女関係」、「神=宗教や人間を超えた存在」を話題にしていない点です。その証拠に、論語には「生まれ変わり」や「啓示」、「預言」、「恋愛」、「覇権」、「神学論争」などの話は、一切出てきません。これらの話題は客観化できず、話せば必ず派閥が生まれ、人間関係に何らかの亀裂やきしみを生むため、孔子様も話題に採り上げなかったのでしょう。

その論語には、有名すぎる名言名句が星の数ほど収められていますが、今日は「学問に臨む姿勢」を扱った一言をご紹介します。それは、「学ハ先ズ不言ヲ習フベシ」という言葉です。「学問をしようと思ったら、まず不言を学ばねばならない」という意味です。「不言」とは、「何も言わないこと」です。なぜ、「不言」なんでしょうか。ちょっと考えてみましょう。

去年の秋に行った「FUNスピーチ塾」は、この冬には内容を一部アレンジして、「FUN面接塾」としてお届けしましたが、その中で、こういう内容があったのを覚えていますか?「認めるとは、口を出さないことだ」と。「認める」とは、「言」を「忍ぶ」と書きます。「言うことを我慢する」という意味です。口を挟みたい気持ち、一言言いたい気持ちをグッと抑えて相手の言い分を聞き入れるのが、「認める」という動作です。

学生さんはよく、「私はあの人を認めない」とか、「オレはあいつを認めている」と言います。この場合の「認める」も、「言いたいことがある」とか、「何も言うことはない」という意味でしょう。皆さんが「認めている」と思っている人は、「その人の話なら聞く」という人のことでしょう。

面接では「自己PR」とかいう意味不明の言葉が横行し、やたらと自己主張することが奨励されているようですが、そんなのはウソです。「話し方」より「聞き方」の方が、内定のためには何倍も大事だということを、今、志望業界に内定をもらった皆さんは、強く実感していることでしょう。「聞き方」で差を付ける方法があることを、90%の学生さんは見落としています。

「不言」もこれと同じです。「学ぼうと思ったら、しゃべるな」というのは、「すぐに口を挟むと、理解が浅いままで終わってしまう」という危険を戒めたのでしょう。どういうことか、会話シミュレーションを用いて考えてみましょう。

たとえばここに、「ベンチャーキャピタル」を志望している、国際文化学科のM君という学生さんがいるとします(というか実在…)。M君の選考に立ち会った面接官が、「有言」をポリシーとしている社会人なら、おそらく以下のような会話になることでしょう。

M:「西南学院大学文学部のMです。よろしくお願いします」
面:「文学部か。じゃあ、経営の勉強はしてないよね」
M:「たしかに知識は足りませんが、経営や経済に対する興味は負けません。例えば私は、2年の時に…」
面:「経営にどんな興味があるの?」
M:「特に興味があるのは、有望な中小企業の上場支援において、上場前も後も武器になるような資産を一緒に作り上げていく経営支援です。その理由は…」
面:「なんで中小企業なの?」
M:(このおっさん、人の話聞いてるのか?)

…というふうに、自分の興味ばかりを優先させ、人の話の腰を折って、いちいち見解を確かめるのは、実に器の小さい態度です。M君がイライラするのも、理解できます。では逆に、面接官が「不言」を重んじる人だったら、どうでしょうか。

M:「西南学院大学文学部のMです。よろしくお願いします」
面:「文学部でベンチャーキャピタルなんて、面白いですね」
M:「はい。異質の要素を比較し、共通点を探して可能性をつなげる国際文化の勉強こそ、VCの業務に役立つものだと自負しています」
面:「ほう」
M:「私は経営や産業も文化だと考えています。働き方、商品開発、売り方、広告手法などは、国が違えば方法も違います。なのに経済の分野では、政治や文化以上に交流が進んでいます。これは、国内において、異質とされる大企業と中小企業の交流や、ベンチャー企業と老舗企業のマッチングなどにも、応用できる視点だと感じています」
面:「なるほど」
M:「新たな文化や産業がある国に導入され、それがどう根付いて成長していったかを観察することは、企業が新商品を開発したり、上場を目指して経営改善を重ねていく過程と重なります」
面:「君は実にユニークな考え方をしているね」
M:「ありがとうございます」

…と、相手が「不言」を貫き、自分に自己表現の機会を与えてくれたため、M君は自分の信念や意見を、余すところなく伝え、見事内定を勝ち取りました。面接などの「1対1」のコミュニケーションでは、有言とか不言という行動がはっきりと見て取りやすいものですが、これは読書や講演、普段の会話でも同じです。

およそ物事の本質を学ぼうと思えば、大事なことは「こちらがカラ」という準備をしていることです。これは本メルマガでも、2年ほど前にカリアッパのエピソードをご紹介したので、古参読者の方は覚えておられると思います。「あれこれと浅薄な自説を述べる前に、まずはぐっとこらえ、達人の言葉に耳を傾けること」が、新たな段階の成長を可能にする、という話でしたね。読書でも会話でも、ちょっと見聞きしてすぐに口をはさむようでは、相手やその本は到底、本来の面白さを見せてはくれないでしょう。言いたいことを抑え、反論をしばし我慢し、まず読む。まず聞く。そうしてこそ先に進め、そこで、ちょっと前に持った疑問が氷解し、新たな気付きや知識が生まれます。

古代の中国だけでなく、江戸時代の高名な私塾でも、優れた教師は皆、弟子たちに「不言」を教えたそうです。しかも、「10日」とか「1ヶ月」も、「何もしゃべるな」と教えたそうですから、現代人なら発狂しそうな期間です。その過程で、「隙あらば、師匠に俺の意見をぶつけてみよう」とか、「自説を売り込むチャンスは見逃さないぞ」と思っていた若い弟子たちは、「自分の考えていたことって、なんて浅かったんだ」と反省したそうです。「何か言ってやろう」と待ち構えていたということは、それ以上成長した考えを持っていなかった、ということでもあります。「言いたい」と思って「不言」の日々を過ごすうちに、「言う価値があるのか」、「言ってどうなるのか」という自問自答が生まれるいう効果こそ、不言のメリットです。

自説を表明する機会を封じられ、よくよく熟慮する時間を与えられた弟子たちは、自分の不明を恥じ、かつての計画を反省し、その分余計素直になって、先生の教えをよく吸収し、大きく成長したそうです。「しゃべっているうちは、反省も学習も不可能だ」というのは、東西の賢者たちが口を揃えている「この世の掟」です。言いたいことをグッとこらえ、相手の言い分によく耳を傾けてこそ、新しい意見も生まれるというもの。「不言」はこのように、平素の自分を反省する機会を与えてくれ、失いかけていた素直さを取り戻すきっかけをくれ、学ぶ速度と方向を調整してくれる行動です。

「沈黙の効用」については、面接塾でお話した通りで、ここでは再説しません。冬にまた、機会があれば話します。この夏は、「不言」によって自分を高め、新たな境地に到達してはいかがでしょうか。







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Last updated  2008.05.09 01:06:20
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