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何でその3まできてしまったかと言うと、昨日で終わるはずが、書いている最中に電話がかかってきて2時間ほど中断してしまってテンションが下がりまくったし、時間が遅くなったんで最後まで行かずに終わってしまったんですよね。とはいえあの長さなんだから、初日にキチンと書いたとしたら字数オーバーになってたのかも(^^ゞ
レクター博士のシリーズは犯罪者の心理を分析して犯人の割り出しを行う様子を描いたものですが、昨日もちょっと書いたように「盗人にも五分の理」と言うことでそういう理由なら仕方ないかもって気分にもなります。といってもあっしの場合は「レッド・ドラゴン」の犯人だけですが… 「彼」は駆け落ちした母親が偽名を使って一人きりで産んだんですが、生れ落ちたときに口蓋に障害を持っていたために母親は「彼」を捨てて出奔し、「彼」は身元不明のまま孤児院で育ちます。そんな「彼」を母方の祖母が見つけ引き取りますが、零落した名家の娘だっただけに「彼」を家出した「彼」の母親への嫌がらせの材料にしたり、「彼」に愛情を注ぐことなく育て、高齢化により通常の判断力とかも失われてしまったため、「彼」は母親のもとに引き取られるが、母親の結婚相手やその三人の子供たちとの折り合いが悪かった。「彼」は口蓋の障害のためにまともに喋れないし、外見も「兎唇」なため、まともに恋愛なども経験したことがないんです。誰からも愛情を得られず、生まれながらの障害で傷つき、心が壊れてしまう。だから、母親の家族と同じ両親と三人の子供と言う幸せそうな家族に対して憎悪を抱き、これに復讐しようとする。このあたりは心が向こう側に行ってしまっているから整合性があることで、「彼」は半ば二重人格のようになっているんですが、そんな「彼」も盲目の女性技師と恋に落ちて犯行を続けるべきかどうかで葛藤するんですよね。 上手く喋れないことにシンパシーを感じるならば、自分の飼い犬に顔を喰われ、鼻も口唇もなく、片方だけ残った眼には目蓋もないヴァージャーも発音がママならないけど、ヴァージャーの場合は生まれつきのサディストで他人を傷つけても罰せられない立場にいたのをレクター博士によって罰せられたようなもので、ある意味自業自得の結果なんですが、唯我独尊の思考パターンがレクター博士への逆恨みとも言えるような復讐へ執着させているんです。このあたりは「バッファロー・ビル」にも共通する自分勝手さで、「バッファロー・ビル」は性同一性障害を持ってはいるものの、自ら蒔いた種のせいで性転換手術を拒否されると、若い女性の生皮を剥いで自分の新しい皮膚(!)にしようとするんです。こう言うのは確かに一応は理由にはなっているけど、共感は出来ないですよね。 疎外を受けているのは犯罪者だけでなく捜査官のほうも酷い疎外感に悩まされている。モチロンこれは「誰もが疎外されて生きている」ってことで、犯罪者や捜査官だけが疎外されているってことじゃありません。昨日卑小な悪者としてあげたチルトン博士も7年間もレクター博士のそばにいながら常に馬鹿にされ続け、小娘のクラリスに手柄を独り占めされるのが悔しくて暴走するんだし、クレンドラーだってクラリスが手柄を立てることを嫉視して名声を得るためにヴァージャーに擦り寄っていくんです。「ハンニバル」のフレンツェで出てくるバッツィと言う捜査官も栄光の高みから突き落とされて捜査官としての職を失いかけてしまったからこそ、レクター博士を捜査官として捕えるのではなくヴァージャーに売り渡そうとしてしまいます。 グレアムやクラリスも悩ませられています。グレアムはレクター博士に「自分が捕まったのは二人が瓜二つだからだ」といわれます。これは大沢在昌の「砂の狩人」にもあったんですが、優秀な捜査官は犯罪者の心理を分析して捕えるけど、これはその捜査官が犯罪者と同じような考え方をしているからであり、捜査官になっていなければ犯罪者になっていたに違いない、ってことです。この考え方は捜査官を深く傷つけます。だから、レクター博士と結び付けようとする「ナショナル・タトラー」紙を憎むわけで、クラリスも自己不信に陥ったりもします。一方でクラリスはレクター博士を捕えるためにレクター博士の嗜好を調べ、綿密な網を張り巡らすんですが、自分がレクター博士と同じ嗜好も持っていることに気付きます。 さて、「長いスプーン」ですが、これは「ハンニバル」の第六部のタイトルで、扉に「だから、悪魔と食事をするときは、大きな、長いスプーンを用意したほうがいい。」と言うエピグラフがあるんです。レクター博士のお話は三部作ですが、あっしとしては起承転結で言うと、レクター博士の紹介の「レッド・ドラゴン」が起、クラリスの登場する「羊たちの沈黙」が承、「ハンニバル」の第五部までが転で、「長いスプーン」が結に当たると思うんです。「ハンニバル」では捜査官は犯罪者を追いかけることは出来ません。法の秩序から逸脱した中でクラリスがどう立ち向かっていくのかが描かれています。そして「長いスプーン」で物語は終局を迎える… ちなみにこの作品の中で一番まともだなぁと印象に残ったのは精神病院でレクター博士の世話をしていたバーニーでしょうか。彼もまた決して善人ではありませんが、分を弁えていると言うか、一歩手前でするりと破滅の危機から自分を救っているんです。あらゆる人が疎外されている世界でどうすればよいのかと言うのが、このあたりにあるのではないかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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