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2003年05月31日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日の新聞に国民生活白書についての記事が載っていた。その中にフリーターについての定義が「学生と主婦を除く15~34才のうち派遣などを含むパート・アルバイトや働く意志のある無職」って書いてあり、90年以降の推移のグラフも載っていたんだけど、その内訳がパート・アルバイト、失業者(求職中)、働く意志のある非労働力人口の三つに分けられていました。ここでちょいと引っ掛ったのは失業保険とか関係で法律上の失業者ってのは「働く意志もあり職を求めているのに就職できない人」なんだけど、この働く意志ってのは職を求めていることで示されるので、職を求めていない人は働く意志がない人と決め付けているんですよね。だから、失業者以外に「働く意志のある非労働力人口」があるってのがもの凄く違和感があるんですよね。実際には職を求めてもミスマッチで諦めている人もいるわけで、そういう人は法律上は失業者じゃないけど、実質的には失業者だから、分類としては失業者を求職者と非求職者に分けて求職者にのみ失業保険を給付するってした方が実勢にあってる気がするんですよね。

フリーターの定義の中に「夢を追いかけて精進中」とか「模索中」ってのは入るのだろうか?そういう意味で、「学生・主婦を除く若年人口から就業者を除いた残り」をフリーターにしたほうが実数に近い気もしないでもない。と言うのは上にも触れたように「働く意志がある」の目安と言うものがどこにもないんですよね。働きたいけど病気で働けない人なんかは働く意志はあるけどフリーターといえるのか?学生も資格や技能取得のための専門学校生なども含まれるのかと言うとこれも疑問のあるところで、求職の手段としての学生であり、パートやアルバイトで食いつないでいるとしたら立派なフリーターと言えるかもしれないですよね。

こういうフリーターが増えることは技術習得に遅れを生じ、生産性の悪化とともに、将来への不安から結婚や出産の手控えなど社会への悪影響もあると記事には書いてあります。とはいえ、全体の失業率がまだ5%台なのに15~24才の完全失業率が12%であることからもわかるように企業のほうが技能を持たない若者を必要としていないんですよね。一昔前のように社員を育てる余裕が失われ、即戦力を補充し、戦力外になったらあっさり放り出すのが現在の企業の人事ポリシーと言えるでしょう。かつては高校や大学が社会人として生き抜くための基礎知識を供給していましたが、いまや高校までは大学に入るための予備校であり、大学は就職までのモラトリアムに過ぎません。モチロン自分の夢に向かって努力をしている人もいますし、自分で人生のレールを敷きなおす人だっていますが、大半の人はみんなと一緒に歩いているだけです。だから社会にでてお金を稼ぐことがどんなものかが理解できずに青い鳥を求めて彷徨ったりしたりするんですよね。

この20年間くらいでお金に関する価値観が一気に崩壊してしまったために、お金を稼ぐってことの意味が見失われたようです。基本は安く仕入れて高く売る、その差額が儲けになるってもので、安く仕入れたものをいかにして高く売るかが仕事なんですよね。安く仕入れたものはそのままでは高く売れるわけがないから、高いものに見えるように一工夫を加えたりするんですよね。そのノウハウがお金になるんであり、ノウハウに沿って動くことでより効果的にお金が稼げるわけで、こういう仕組みと関係なくただ「この時間を拘束されていた」ってだけじゃお金にならないんです。ところが、狂騒した好景気のときにどうでもいいから人を集めて金に糸目もつけずに賃金を払っていた感覚がとりわけ貰っていたほうに残っているんですよね。でも、今の世の中はそんなことをしてちゃ渡っちゃいけません。お祭り騒ぎが終わって冷静に経営の建て直しを図るには膨れ上がった人件費を切り詰めるしかないんですよね。人件費が高すぎたんですから当たり前のことで、いわゆるリストラと言うのは冗費削減と言う経営者なら誰もがしなきゃいけないものに過ぎないんです。

ところが削減すべき冗費を前提に世の中が回っていたもんですからどうしたって反動が来ます。それがデフレであり、不況となって眼に見えているんですが、適正な水準になれば落ち着くんです。ところが、まるでこの世の終わりのような感じで大騒ぎして、適正な水準に行きつく前に冗費を復活して湯水のように使ってしまおうってのが今の経済政策の言わんとしてることなのです。フリーターの存在も一種の安全装置みたいなもので、急激な変化を吸収してくれているんですが、その辺がどうも上手く理解されていないらしい。これ以上大きくならないパイの配分をより多くの人とするなら今よりも少ないもので我慢するしかないし、それが厭なら配分に与る人を増やさないしかないですよね?

今すべきことはいずれ経済が適正水準に落ち着いたときに対処できるように準備することで、現在フリーターとして疎外されている人たちがその社会で生き抜くために必要な技術習得などの教育を行ったり、高齢者だからといって職場から追放されないような環境作りをしたり、とかいろいろあるんですよね。とにかく過渡期に過去の栄華を偲んでムチャするよりも、すべてを受け入れて静かに暮らすほうが良いと思うんですが…難しいですよね(^^ゞ





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最終更新日  2003年05月31日 13時54分09秒
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