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カテゴリ:母として 継母として
なっつさんに、泣ける楽曲を教えていただきました。
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0060167/ SEAMO/ MOTHER 歌詞はコチラ DLして、今は毎日、この曲を聴きながら、 ご不自由を抱えるMotherがいる職場、ご利用者さま宅へ、仕事に向かっています。 この曲の主人公のように、ご家族さまの母を思う気持ちを、ケアの内容で代弁できたらいいな、と思いながら…。 なっつさん。 こんな素晴らしい曲をご紹介くださって、本当にありがとう! ほんの少しでいいから、 母よりも長生きするよ、 と思ってもらえる母になりたいと、私の理想にもなっています。 感謝してます。 『それでもある日 学校をずる休み 「行きたくない」と言い 布団から一度も出ぬ僕前に 顔を両手で覆い隠し 大声あげて泣いた 僕も悲しくて泣いた その時僕は「なんて馬鹿なことをしたんだ」と自分を責めた』 母の涙は、時には子の反省をうながす武器にもなるけど、 自責の念を抱えさせてしまう攻撃にもなってしまう・・・。 『武器』として使っていた当時、 まさか子どもがこんな思いを抱える『攻撃』を与えていたなんて思わなかったから、 今から思えば、ずいぶん自尊感情を傷つけていたんだな…と反省です。。。 しかも、学校に行かなくちゃならないことは十分わかりつつも、 がんもが精一杯頑張ってるのに行けない時のことです。 学校に行けないことで自己嫌悪に陥っているだろうに、 それに輪をかけて母の涙という『攻撃』を受けていたのですから、 がんもが抱えた心の痛みは相当なものだったでしょう。。。 おかげさまで、今はがんもが学校へ行こうが、行くまいが、 どちらに転んでもポジティブな母ですが 当時はとてもそんな気分ではなかったし、 「学校へは行かなくてならないもの」という固定観念に凝り固まっていたので、 どう対応したら学校へ行ってくれるのか、そればかりを考えていました。 それが、がんもに対する工夫だと勘違いしていたのです。 当然のこと、そんな工夫が役立つはずもなく、 ますます荒れ気味になっていくがんもを前に、何度も何度も涙を流しました。 本当に、もう、どうしていいのか分からなかった。。。 ちょうどそんな時、他県で教師をしている叔母から、 励ましの言葉をいただきました。 叔母の言葉により、私の大きな勘違いを修正することができ、 家庭の朝の様子が変わりました。 泣き顔で責めたてる母を脱ぎ棄て、何事も笑い飛ばす母になろう、と『努力』してきました。 学校へ行かない日は、時間を作れば一緒に母子デートができると喜び、 お金のかからないデートにするにはどうすればいいかを共に話し合い、 学校へ行く日は、頑張ってるがんもの様子を喜び、その努力に感謝しました。 起きてきたことに「ありがとう」。 ご飯をを食べたことに「ありがとう」。 些細なお手伝いをしてくれたことに「ありがとう」。 学校に行ったことに「ありがとう」。 不思議なことに、多くの「ありがとう」を繰り返すうちに、 無理して泣き顔を見せまいとしてきた母の『努力』が必要なくなり、 いつしか、自然と笑えるようになっていきました。 だから、私は、「ありがとう」という言葉が大好きです。 なにより、常に感謝する気持ちを持つことによって、 自分がいつも明るくいられることが何より嬉しい。 「ありがとう」も「感謝」も、すべて自分に働きかける魔法の言葉だと感じています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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