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2005/06/01
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りゅうちゃんミストラルさんが、私の書いた5月31日の日記についてコメントなさっている(こちらです)ので、触れておくことに致します。

まず、ていねいにお返事を差し上げたのにもかかわらず、いきなり、「挨拶もできないのか、失礼だ」と言ってくることが、私には理解できません。会ったこともない人間に、いきなり、「おまえは失礼だ」ということの方が失礼だと感じます。でも、私の言動に失礼があったとお考えなら、そのことには、ここでお詫びの気持ちを表しておきます。

りゅうちゃんミストラルさま、もし私の言葉の中に非礼な点があったのなら、申し訳ありませんでした。


さて、5月30日の日記で、私は、こう書きました。

戦線拡大に反対していた昭和天皇には戦争責任はないと考えます。

この文面がこの若者のお気に召さなかったようです。一応、「言葉が足りませんでした。」と、メールに書いて、この戦線拡大は、満州事変から、国連脱退までの間のつもりであったとお返事しました。しかし、満州事変後の若槻内閣の対応について書いてきて、
これで、どうして昭和天皇に責任を求めることができるのか、私には理解できません。満州事変首謀者の責任、そしてそれを追認してしまった政権首脳の責任でなくて何なのでしょう?私は、戦線拡大に反対していた昭和天皇には戦争責任はないと考えます。敗戦責任は、満州事変以降、戦争遂行の決定に関わった人たち-A級戦犯-に対して求めるべきです。
という文面の中で、「戦線拡大」と言っているのです。私は、時の若槻内閣が満州事変の処置を謝ったことが戦争に突入する結果となり、さらには悲惨な敗戦の原因となったと考えるので、満州事変の頃のことを問題にしているのであって、太平洋戦争開戦後のことを言っているのではないことくらいは読み取って頂きたいと思います。

この若者に、2回に渡って、二二六事件以降は、日本の指導層以外では、もはや軍部の横暴を止めることは不可能だったと書きましたが、この点をこの若者は触れようとしていません。ただひたすら昭和天皇を悪者に仕立て上げることだけが目的であるかのようです。ニニ六以降は、天皇の大権など全く名ばかりのものになり、軍部の横暴がどんどん進んでいきます。陸相、海相、首相以外では、テロやクーデターを恐れずに、軍部の侵攻にブレーキをかけることはできなかったと私は考えます。

昭和天皇は、昭和14年に陸軍の暴走を止めるために、陸相の人選に介入しようとしましたが、これも翌年には陸軍の横暴の前に潰されてしまいます。これが、昭和天皇としてできる最後の抵抗だったでしょう。名ばかりの天皇の大権では何の抵抗もできませんでした。

太平洋戦争開戦後は、昭和天皇もほぼ諦めてしまったらしい感じがうかがえます。戦果に一喜一憂し、指導部の報告、上奏を追認するばかりです。問題発言も多々見られます。なすすべのない昭和天皇の立場は、国民一般大衆と何ら変わらないのです。もはや天皇をもってしても軍部の独走には歯止めをかけることができません。若槻礼次郎の回顧録によると、昭和20年に入り、戦況がいよいよ悪化してきたので、重臣たちが降伏を考えるようになります。しかし、これも密談が漏れれば即座に逮捕されるような状況です。その中で、若槻礼次郎、近衛文麿らが、天皇に終戦を勧めます。そのときに、昭和天皇が近衛文麿に

もう一度戦果をあげてからでないとなかなか話は難しい

と答えます。しかし、この時点で昭和天皇が何を決断したところで、天皇の方針を完全に無視して開戦した軍部には全く響かなかったでしょう。この時点では、日本は単なる軍政国家であって、立憲君主国としての機能など完全に失われているのです。昭和天皇語録(講談社学術文庫1631)という本には、この昭和天皇の発言が、近衛文麿の

従来軍は永く一つの思想によって推進し来ったのでありますが、これに対しては又常に反対の立場をとってきた者もありますので、この方を起用して粛軍せしむるのも一方策と考えられます。

と奏上したことに対するものであったことが書かれています。反戦派の軍人を陸軍のトップにしてはどうかと言うのですが、もはや天皇には軍部の制御などできてはいないのです。先の発言は、最後に一つ戦果が出ないと、軍部を説得するのは無理だという感想を述べているのであって、この発言をもってして平和愛好者だった昭和天皇が戦線拡大を望んでいたなどと、どうして言えるのでしょうか?東京大空襲や原爆の悲惨な状況があってはじめて天皇が軍部を抑えつけることができた、ということであって、昭和20年の2月の段階で、指導層(当時は小磯内閣)が軍部に命令せずして、どうして昭和天皇が軍部を制御できるのでしょうか?まして、昭和天皇は端から戦争など望んではいなかったのです。五一五、二二六などの暴力に訴えて実権を握った軍部、自ら望みもしないことをどんどん勝手にやっている軍部があって、それを制御できないから責任を負わせるというのは不条理と言うしかありません。昭和20年2月の段階(東京大空襲前)で、戦争にストップをかけなかった責任は、当時の指導層(首相、陸相、海相)にあります。テロやクーデターなしにそれが可能だったかどうか、私にはわかりません。そもそも、戦争を始めたことが間違いなのであって、責任はあくまで、天皇の意に背いて、戦争遂行の決定をした人間、軍部の横暴を許す決定を下した人間、満州事変を拡大させた責任者にあります。

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私は、仲間が欲しくてこのブログを続けています。私のような人間には仲間ができにくいらしいということが自分にもわかってきました。自分では、ていねいに相手のことを考えてお返事などしているつもりなのですが、なにゆえ、こういう反応が返ってくるのか、(恐らく)アスペルガー症候群の私には、理解できません。

私としては、この若者とけんかをするつもりも論争をするつもりもありません。この若者も終わりにすると言っているので、私も、この日記を持って終わりということにします。この若者には、大きな期待を寄せていたのに裏切られてがっかりしています。
この若者が、私が自己矛盾に満ちた非礼で頑固な人間であると考えるのは個人の自由だし、それで結構です。
ただし、私には天皇の戦争責任を考える点においては自己矛盾などどこにもありません。これからも、自分での正しいと信じるところに沿って、このブログでは、従来通りの主張を続けます。私はこの若者の部下でも奴隷でもありません。この若者に言われて考え方を変えることはありません。





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最終更新日  2005/06/01 12:42:16 PM



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