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2007/12/20
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カテゴリ:政治
国連総会が、死刑執行の停止を求める決議を、賛成104、反対54、棄権29で、採択したそうです。
本日(2007年12月20日)付毎日新聞社説が、この問題を採り上げています。

山口県光市の母子殺害事件や大阪府池田小の事件などを見て思うのですが、私の基本的考え方は、民主主義の破壊者は民主主義の敵であって、民主主義を守りたいのであれば、力をもってしてでなければ守れない、ということです。
だからこそ、警官は武器を持って街を歩くわけです。東京都立川市で起きた、警官によるストーカー殺人事件のようなことは困るわけですが.....。
人権が尊重されるべきは、被害者と被害者の遺族であって、民主主義の破壊者の人権は制限されて然るべきだと、私は、考えます。
刑罰について、犯罪抑止論・教育論という考え方もありますが、私は、国家による因果応報の報復代行という考え方です。
国家が事実を些細に調べた上で報復を代行しなければ、怨恨感情が被害者に残るということが推理小説のネタでは済まなくなり、法律による秩序維持は無理だと私は思います。

毎日社説は、
 国内では、各種の世論調査で8割前後が存置を認めており、死をもって償うべき罪があるとする考え方も根強い。死刑に一定の抑止効果があるとも理解されており、当面、死刑廃止に転じる情勢にはない。
 しかし、先進国では日米が孤立化している格好だ。しかも、米国内では死刑を認めていながら執行を停止させている州もある。ニュージャージー州も死刑廃止を決めたばかりだ。韓国も10年間執行がない。刑罰史を見ても、人々は死刑廃止に向かっていると映る。
と書いています。
よく、先進国では、「死刑廃止」の流れにある、と、言われます。
しかしながら、英国やフランスやドイツの軍隊の兵士が、イラク、アフガニスタン、その他の紛争地域で、テロリストが紛れ込んでいる一般住民を誤射誤爆する、ということを平気でやるのです。
銃撃戦でテロリストを射殺することでさえ、「死刑廃止」と矛盾していますね。
中東やアフリカに住む人間は人間ではない、欧米に住む人間だけが人間であって死刑にするべきではない、とでも言うのでしょうか?
欧州各国が、死刑制度廃止を言うのであれば、「外国に軍隊を派遣して国際貢献だ」、などと言うのはやめろ、と言いたい。
そんなものは単なる殺人であって、国際貢献でも何でもありません。

毎日新聞は、終身刑は死刑よりも残酷である、という見方を書いた上で、終身刑が導入されれば死刑は必要ない、という論のようです。
私のように、家族のためと思って必至に汗水垂らして働いていたのにもかかわらず離婚となり子どもと離れ離れになり、希望をなくして、今、息をしていること自体が地獄のような日々なのであれば、いっそ死刑にでもしてくれて、もし、あの世があるなら、そこでは、子どもと一緒に暮らしたい、と、思っている人間からすれば、やはり、希望無く自由を奪い生き殺しにする終身刑は残酷の極致です。

毎日社説は、
 死刑確定後は関心を失い、結果的に法務省による隠密裏の執行を是認してきた市民の姿勢も、問い直されねばならない。社会にとって不都合な人の排除を願い、しかも自分はかかわりたくないとする発想が、底流にはある。更生や協調よりも報復や切り捨てに走る風潮が、民主主義社会にとって健康的と言えるだろうか。
 死刑問題は、宗教や哲学など人の生き方の根幹に触れる重いテーマだ。一人一人が熟考し、慎重な論議を重ね、将来に向かって死刑制度の是非を見定めたい。
と、結んでいます。
毎日社説のこの言い方はおかしいと私は思います。
地域社会が、殺人犯を排除したい、かかわりを持ちたくない、と思うこと、また、殺人被害者遺族が殺人犯を憎悪するのは正当です。
平穏無事に生きて来れている人間が、犯罪被害者が自然に思う感情を非難できるのでしょうか?

私が一番恐れるのは、犯罪に対する刑罰が軽くなったとき、特に、死刑が廃止された場合、人々の他者を見る目が冷たく警戒的になるだろうと言うことです。
殺人犯にも人権があると主張することはたやすいですが、自分の生存権を守ることにも神経を使わなければならなくなり、身なりがなっていない、言葉付きが変わっている、靴もボロボロ、貧乏人だ、政治的な発言をする、物欲しそうな態度だ、こいつはいかにも将来殺人犯になりそうだ、というような理由だけで、法的な責任を何ら負ってもいないし、むしろ善良に社会に貢献している人間であるのに、こいつはおかしい、と、地域社会が善良な一市民を排斥し、銃乱射事件を起こさせて、やっぱりそうか、あいつは危なかったんだ、というストーリーです。

本来、警戒すべきは、犯罪の「事実」であって、態度がおかしいから犯罪予備軍だと決めつける、というようなことではありません。
佐世保の銃乱射事件では、加害者の地域住民の声を聞いていると、犯罪をやれ、やれ、とそそのかしているうちに、精神的に追いつめられた加害者が事件を起こしてしまったようなものです。
地域住民が連帯して事件の責任を負うべきだとさえ思います。
目つきが怪しいと思う人がいるなら、地域の安全・治安を守るためには、声を掛けて仲間に引き入れる努力をするべきです。

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最終更新日  2007/12/20 09:34:19 AM



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