テーマ:BAR大好き!!(731)
カテゴリ:BAR
1980年代前半、神戸で仕事をしていた。神戸にはその頃、港に数日停泊する外国人貨物船員相手のためのBARが、(当時は、もっぱら「外人BAR」と呼ばれていたが)元町かいわいに数多くあった。
正統派のBARから、接待の女性がいるスナックに近いBARまで、その数40~50軒、いやひょっとして100軒近くあっただろうか。なかにはいかがわしい、いわゆるぼったくりBARもないではなかった。 ノルウェー、デンマーク、イギリス、ギリシャ、アジア系など、国籍ごとに「たまり場」となるBARは分かれていた。もっぱら、ゲイの船員がよく集うBARもあった。客として出入りできるのは、原則として外国人オンリー。「日本人お断り」。店の表にそう書かれている店も少なくなかった。 外人BARってどんなところだろうか、と好奇心をたぎらせた僕は、ある時、東南アジアの船会社の関係者を装って、わざと変な日本語をしゃべって潜入(入店)に成功したことがあった。もちろん、座ってものの15分くらいで、「あんた日本人違うん?」と見破られてしまったが、追い出されることもなく、そのまま飲ませてくれた。そんな大らかな時代だった。 僕はそんな異国の怪しげな雰囲気を漂わせる外人BARが好きになり、あちこちのBARに出没した。なかでも一番よく通いつめたのは、南京町の近くにあった「Sunshine」というBARだった(写真=成田一徹氏の切り絵に残された「Bar Sunshine」の店内風景。昔、個展で購入)。 マスターのロバートさん(日本人の客は、いつも「ロバさん」と呼んでいた)はデンマーク人で、マースク・ラインの元船員。神戸がことのほか気に入って居ついてしまい、その後、ついには日本人女性と結婚した。 店は、その奥さんと2人で切り盛りしていた。当然、毎夜のように、デンマークの船員が集まり、店内にはデンマーク語があふれ、彼らはアクアヴィットをストレートでくいくい飲み干しながら、もっぱら賭けダーツに興じていた。僕もカタコトのデンマーク語をおそわったりした。雰囲気はまるで外国のようだった。 その「Sunshine」も悲しいかな、バブル景気のあおりで地上げに遭い、90年初めまでには姿を消してしまった。もう1軒、よく通った「Charlie Brown」のチャーリーさんも、その後、病気で天国へ旅立ってしまった。居心地のいい酒場を無くしてしまった僕は、今もバブル景気を恨む。 高速コンテナ貨物船が主流となった今は、船は朝港に着いても夜には出航してしまう。船員たちが陸(おか)に上がってBARで一夜を楽しむ余裕(時間)はなくなり、元町かいわいのBARで夜、外国人船員と出逢うことはほとんどない。 元町の外人BARもその後、店を閉めたり、普通のBARやスナックや喫茶店に姿を変えたりして、今は、1、2軒がかろうじて残る程度(もちろん、今は「日本人もウエルカム」だが、昔の外人BARの面影はない)。 南京町かいわいを歩くと、今でも「Sunshine」での懐かしい夜と喧噪を思い出す。その後、ロバさん夫妻の消息も聞かない。時代が変わるのは仕方がない。しかし、ミナト神戸によくお似合いだった、あの猥雑で怪し気な外人BARが消えたのは、言葉で言えないくらい悲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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