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大日本帝国憲法(明治憲法)第一条にはこう記されています。
「大日本帝国は、万世一系の天皇、これを統治す」 戦後の誤った教育、不勉強によって、この条文は天皇の独裁政治を示すものと解する方が少なからずおられることでしょう。 しかし、そうではないのです。 起草にあたって中心的な役割を担った井上毅は「草案段階」で 「大日本帝国は、万世一系の天皇、これをしらすところなり」 としていたのです。 伊藤博文は「憲法義解」の中でこう記しています。 「所謂『しらす』とは即ち統治の義に外ならず。(中略)君主の徳は八洲臣民を統治するに在りて一人一家の享奉するの私事に非ざることを示したり」 とし、天皇の統治とは「しらす」ことであると明確に示しています。 先の総選挙の期間中、赤尾由美さんは連日街頭で、そして政見放送の中でも「我が国の国柄は天皇のしらす国である」と主張していました。 この「しらす」という言葉が、わからなければ、残念ながら、我が国のお国柄も、そして明治憲法も理解することはできないのです。 葦津珍彦氏は「天皇ー昭和から平成へ」の中で 「近代の天皇には、統治権の総攬者という明文上の立場の他に、日本国の祭り主という不文の立場があった。その影響下にあることによって、党利党略、私利私欲にとらわれがちな政治家たちも反省の機会を与えられ、国家権力はめられ、国家権力は浄められ、国家の神聖性や高貴さが保たれていたと言われる」こう記しています。 これは、明治以降、わが国民が、近代国家日本に対する高揚感、一体感を感じる理由として我が国の神聖性、高貴さをわがものとする一体感を生む大きな要因となっているものと思います。祖国が駄目な国、遅れた国、などと感じていれば、国家と一体となることを国民自身望まないでしょう。 天皇の統治とは、この祭り主、祭祀王、プリーストキングこの立場が極めて重要なのである。 天皇が、広く国の事情をお聞きになって、お知りになる。それによって、国土は一つにまとまり、人々の心が一つにまとまる。自然に国が束ねられり。これが天皇の統治。「しらす」ということなのです。 今上陛下は、被災地に行幸され、被災者の声を聞かれる。そればかりではなく、歌会始の儀の応募された和歌から国民の声を聞かれる、講書始などの機会に専門家から声を聞かれる、さらに閣僚からは現状のわが国について聞かれている。それで、我が国は自然に束ねられています。そう今なお、我が国は「天皇のしらす国」だということです。 少なからぬ方々がイメージされる「統治」。そして天皇独裁というものが、いかに誤ったものなのかがお分かりになられるでしょう。 この「しらす」という言葉は、「古事記」に「うしはく」という言葉とセットで出てきます。 「しらす」に続いて「うしはく」なる耳慣れない言葉が出てきて戸惑われるかもしれませんが、我が国のお国柄を知る上では、重要な言葉ですので、もう少しお付き合い願います。 「うしはく」については、わかりやすいように 現在のわが国を「うしはく」のは誰か?という問いに対する答えで何んとなくであろうが、理解されると思います。 現在わが国をうしはいているのは内閣総理大臣安倍晋三です。 「うしはく」とは国策を決定する。あるいは政を委ねられている。という意味になります。 それでもまだ、明治から敗戦まで我が国は天皇の独裁政治が行われていた。そうお考えになる方々もおられるでしょう。 では天皇自身うしはいていたでしょうか?? 明治憲法下、天皇は国を自由に動かしていたわけではありません。 実際に、直接国策を決定することはありませんでした。国策を決定するのは「内閣」でした。内閣の決定に、天皇ご自身は、承諾したものでしかありません。それは天皇自身のお考えと異なってもです。 唯一の例外が、終戦の際のご聖断です。しかも、これは、閣議で決定することができずに、鈴木貫太郎総理が、「ご聖断をもって、決定としたい」という申し出によって実現したものです。万一、閣議で意見が分かれずに、「継戦」となっていれば、昭和天皇は「承諾」されていたと思われます。 そうです、天皇はわが心のうちとは異なっても「承諾」したであろう。ということは、天皇は国を自由に動かいsてなどいないことをもっとも示す例と言えるでしょう。 そして、歴代天皇は、ほとんど国策を決定することはなかったのです。 終戦のご聖断を行った昭和天皇 幕末の混迷期の孝明天皇 さらに遡ると南ア百年ほど前の後醍醐天皇 が国策を決定したと言える天皇なのです。 今は「内閣」がうしはく存在 幕府がうしはく存在 古墳時代に遡れば豪族の合議制がうしはく存在 だったのです。 では、今は我が国は内閣総理大臣のものでしょうか? 断じて違いますね。 では江戸時代は徳川幕府のものだったのでしょうか? これも違いますね。 「うしはく」だけの存在は、決して「しらす」存在にはなれないのです。 天皇は、存在するだけで国をまとめてきたのです。 我が国は、現存する最古の国家です。 ということは「天皇の統治」はうまくいっていた。ということにほかなりません。 それでも、まだ、敗戦後は変わったのではないか?と思われる方もおられるかもしれません。 今上陛下の「天皇の統治」しらすについては、前述させていただきました。 これは、今なお「天皇のしらす国」であることに変わりがない。ということを示すだけではなく「天皇の統治」がうまくいっていることを示しているのです。 現憲法第一条は 「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」 と記されています。 これは、 天皇のお姿を拝するだけで、日本が見えてくる。 天皇のお姿を拝するだけで、国民の統合が見えてくる。 ということです。 天皇と国民の間のなにをもってしても断ち切ることができない強靭な絆、紐帯。 日本人が日本人としての意識をもってまとまっている、これが国民統合というものでしょう。 天皇のお姿を拝することで、国民のまとまりが見える。 ということは、今なお「天皇の統治」はうまくいっているということなのです。 明治憲法は、「しらす」統治の形態を指し示すのに対して、現憲法は、「しらす」結果としての象徴を示しているのです。 うまくまとまっていなければ、「象徴」にはなりえませんからね。 現憲法下においても、「天皇の統治」はうまくいっているのです。 二千年以上、今日に至るまでうまくいっている統治体系を変える必要がないのは当たり前のことでしょう。 ただ、明治維新から150年あまり、敗戦から70年を経て 今、このことを思い出す機会が来ているのではないかと思います。 「しらす」を「包み込む」と意訳された方がおられるが、mさに天皇によって我が国、われわれ国民は包み込まれているのである。 それは、天皇の祈りにおいてなのです。 天皇の祈りというものは、なにも天皇を崇拝している人だけのことを思っているわけではありません、「天皇制廃止」などと主張する共産党員、あるいはそのシンパたちの幸せをも祈っているのです。これが天皇の姿です。 大御心に包まれる中で、好き勝手に天皇制廃止などを唱える人々。 なんとも滑稽のようにも見えるが、実に我が国のお国柄というものを示しているのではないでしょうか。 天皇陛下がわれわれ国民の幸せをただ只管祈っていただいているのであれば、我々国民としては天皇陛下のご長寿と健康をお祈りすべきでしょう。 その手段が「君が代」を歌うことなのです。 「君が代」は日本人が唯一天皇陛下に恩返しすることができる手段なのです。 明日の明治節においても今上陛下は、われわれ国民の幸福を祈られます。 ぜひ「君が代」を歌って、今上陛下に恩返ししましょう。 参考・引用 「古事記完全講義」竹田 恒泰 「近代日本の苦悩と明治憲法の精神」新田 均 文責 上田 和哉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.11.02 12:10:05
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