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昨日一昨日とミュージックホールやレビューの思い出を書いたが、1972,3年から1975,6年にかけて、新宿歌舞伎町のコマ劇場近くにあったキャバレーに私を連れてゆき、遊ばせてくれた方がいる。日本設計工務株式会社会長で、当時、芝浦工業大学校友会の会長だった新甫八朗氏である。
私は同校友会の会報をつくる仕事を引き受けていた。取材から原稿書き、編集、割付け、印刷用版下までたったひとりでやった。新年号などに会長の年頭挨拶を掲載するような場合は、私が代筆もした。タブロイド判4ページの新聞だったが、一回分の原稿量はリライトを含めると400字詰めの用紙で積み上げると5,6cmになった。ギャランティーは一回につき20万円。普通の広告会社のデザイナーの月給が6万円くらいだったと思うから、結構いい収入だったのである。イラストレーターとしてデビューする直前のころで、そういう仕事で生活していたのだ。 新甫氏はなぜか私を気にいってくれ、プライベートの夜の時間に御自分が運転する車に私を乗せ、新宿のキャバレーやそのほかに連れ回った。氏はそのころすでに夫人をなくされていて、そのキャバレーの女支配人がときどき身の回りの世話をしているらしかった。「私の彼女だよ」と氏は私に言った。 新甫氏のうしろにくっついて店内に入ると、彼女は最上の席に案内し、私にもとびきりの美人を呼んでくれた。もちろん私より少し年上である。 私はいつもウィスキー一本槍だった。「山田君は酔っているのかいないのか、まったくわからん人だなァ」と会長は言う。ころあいを見て美人の彼女が「ね、踊りましょうよ」と私をフロアに誘い出す。周囲はみなチークダンスなのだが、私はまるでワルツを踊るように彼女の右手をとり、壊れ物をあつかうように背に手をまわすので、彼女はそんな「ウブ」な感じがおもしろいらしかった。上等な和服の衣擦れの音をサヤサヤとさせながら微笑していた。新甫氏もにこにこしながら私たち二人を見ているのだった。 新甫八朗と言っても、おそらくほとんどの人は知るまい。じつはこの人は終戦直後の裏面史で八面六臂の活躍をし、満州に取残されていた約170万人を救出した立て役者なのである。 太平洋戦争終結直前の昭和20年8月9日、100万を越すソ連軍が満州へ侵攻し、たちまちにして広大な満州平原を占領した。当時、満州には170万人の日本人が居留していたが、彼らは祖国との連絡を断たれ、ソ連軍と中国八路軍との板挟みになり、脱出不可能になってしまった。これら在満邦人の引き上げに立ち上がり、苦難のすえに見事やりとげた3人の青年がいた。丸山邦雄、新甫八朗、武蔵正道の3氏である。 丸山氏は当時満州製鉄社員で、戦後、明治大学および帝京大学教授を勤められた。武蔵氏は後の富士建設株式会社社長である。 3人は鞍山からソ連軍と八路軍が押さえている奉天に侵入し国府の地下組織と連絡をとり、在満日本人会会長であり満鉄総裁だった高橋達之氏に面会する。そして高橋氏に幣原喜重郎首相に宛てた『引揚げに関する懇請状』を書いてもらい、日本に向けて出発する。といっても中国からの脱出は困難をきわめ、ようようにして3人は昭和21年3月13日に山口県の仙崎港に上陸する。 彼らは首相に高橋氏の書状をもって建白し、JHQに掛け合い、NHKの全国放送を使って在満同胞救済を訴えた。そして新甫氏と武蔵氏が国内のとりまとめを担っている間、丸山氏はふたたび彼の地に渡り、ついにコロ島を開くことに成功。新甫氏は「在満同胞救済」代表として私財を投げうって活動、170万人の日本人は祖国の土を踏むことができたのである。 こういう事実は正規の歴史の裏面にあって、救済された方々さえ知らないものである。後年、丸山邦雄氏は『なぜコロ島を開いたか ― 在満邦人の引揚げ秘録』を著し、また武蔵正道氏は『アジアの曙 ― 死線を越えて』を著して、この事実を明らかにしている。また、新甫八朗氏については、帝銀事件の死刑囚『平沢貞通氏を救う会』の事務局長だった森川哲郎氏が、『満州の風雲児』という伝記を著している。 ガッシリしているがいつもニコニコしている好々爺然とした新甫氏だったが、身近にいると、いかにも胆の太い、腹のすわった男を感じた。新宿を歩いていると、ちょいとイワクありげな男がサット走り寄ってきて仁義を切る。氏は「ヤッ、ハッハ」と笑いながら片手をヒョイとあげて挨拶を返していた。「山田君も度胸がいいねェ」と氏はいうのだったが、とてもとても、私の場合は世間知らずの坊ちゃんみたいなもの。 私が銀座の画廊で初めて個展を開いたとき、オープニング・パーティに出席してくださり、作品を買ってくださった。『守護鳥人のいる劇場』である。文字通り、私の一番最初のコレクターだった。 私が『少年マガジン』の見開きのグラビヤで作品が掲載されたとき、それは子供向けの怪獣画だったけれど、掲載誌を喫茶店のテーブルにひろげて一緒に見てくれもした。 そうして私はイラストレーターとしてデビュー後、次第に出版社からの依頼も多くなり、校友会の仕事からしりぞき新甫会長ともお会いする機会がほとんどなくなった。それから2,3年後にたまたま新宿の街でバッタリお会いした。例の「彼女」と一緒だった。 「知ってるだろ?」と、彼女のほうを目でさした。 「はい。しばらくでございます」私は女支配人に挨拶した。 これから買い物に出かけるところだとおっしゃった。新甫氏は矍鑠としておられた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
素適!!
(Feb 18, 2006 09:26:45 AM)
etukoさん
>素適!! どうもありがとう。少し寒いですかね。 etukoさんもいい絵が描けていますか。自信作がありましたらメールで送ってください。 ----- (Feb 18, 2006 02:44:36 PM)
とっても爽やか、そして「さぁ今日も始まる!」て活力が沸く感じがするの。
毎朝この画を見て、一日が始められたら素適ね。 例え前日に嫌な事があっても水に浄化され、また新しい一日が始められそう。 そして、爽やかな窓外の緑に向かって飛び出します(~*^^♪ 能天気な私にだって、憂鬱な朝も有んだからしィ(、∪ (Feb 18, 2006 04:36:15 PM)
大きな話は事実ですね。
小さな話は、ま、あの人らしいですね。 (Nov 7, 2007 11:01:24 AM)
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