アパレル興亡を読み終えて。
岩波書店「アパレル興亡」作家黒木 亮氏の本について、感じたことを書きます。私が、営業マン時代(東京スタイル勤務時代)や、小売業に転身仕立てのころは、「個性あふれるバイヤーさんが、沢山いました。」とよく言われました。大物バイヤーさんや、小売店さんの名物社長さんや、チェーン店でも仕入れに関して厳しい人が、沢山いました。実は、私より、10歳ぐらい年上の名物社長様がいました。1店舗だけの婦人服小売業の社長様でした。もう、リタイヤしている名物社長様でした。素晴らしい社長様です。経常利益率では10%以上の利益を出していました。パートさんを2名採用していました。奥様との4人で1店舗営んでいました。夏と冬のボーナスは、年間で、150万円以上それぞれ2人に出していました。この社長様のノートを見させて頂きましたが、このノートがまたすごい。細かく、細かく、お客様の好みが書いてありました。365日の商品カレンダーが、記載されていました。気温、湿度、天気などなど。また、学校行事や、お祭りなどの予定も、びっしり書いてありました。「はとみさん、ぼくはね、多店舗展開するだけの力が無い。 1店舗で、後継者も育てない。 夫婦2人とパート2人で、十分利益が出るお店を作りたかった。 時給は、世間の2倍以上にする。 それには、どうするか?…毎日、毎日、考えていた。 粗利益率は、42%。 商品回転率は、12回転。 すべて、完全買取り。 平均単価は、10,000円~12,000円と設定した。 それを20年続けたので、もう引退する。」と言われました。もう、10年以上前の話しです。今回、アパレル興亡を読んで、伊勢丹本店、仙台藤崎、山形大沼、高崎スズラン、盛岡川徳層々たる有名バイヤー(仕入れ担当者)がいました。専門店チェーンのテイメン、三峰、鈴屋にも、いました。どうして、いなくなったのか?それは、時代の流れもあるが、夢があったので、それなりにやりがいもあったと思います。私は、昭和57年4月にアパレル業界の世界に入りました。「ファッションを科学する。(サイエンスする。)」いつも、いつも、どうして、どうしてこの結果になるのか?考えております。私は、ミセスのアパレル商品MDカレンダーが描けます。おそらく、おそらくこの展開MAPや、カレンダーを今 かける人は、ほとんどいないかもしれません。今でも、私は、当時のアパレル商品展開カレンダーを持っております。今もなお、描き直しております。9月の平均気温は、6月の平均気温より高い。9月の降水量と6月降水量は、ほぼ同じ。そんなデーターに基づき、商品構成を変えておりました。1店舗で(17坪)1か月間に、ボトムスを350本以上売れた数字は、未だに私が、店長時代の数字が一番です。科学する、分析する時代は、いつの時代でも、大切です。#東京スタイル#黒木亮#アパレル興亡#羽富 都史彰