源頼朝の不審な死
定説によると源頼朝は落馬による怪我や体調不良により死亡したと伝えられていますが、実は暗殺されたのではないかという説も根強く残っています。この落馬に関する記述は吾妻鏡に記述されていることですが、頼朝の死に関する記載が全く載っておらず、これは頼朝の死の原因が暗殺によるものなので意図的に載せられていないのか、あるいは後に徳川家康が頼朝の不名誉な死を隠すためにその記述部分を抜き取ったかなどいろいろ言われていますが、真偽は不明です。他の歴史書には‘飲水の病’により死亡したとの記述がありますが、これは糖尿病か尿崩症ではないかといわれていますがこれも真偽不明です。頼朝の死亡とは直接は関係ないですが、頼朝暗殺未遂説としてよく取りあげられるのが、曽我兄弟による仇討ち事件です。1193年、頼朝は富士で壮大な巻狩を催していましたが、そこで夜に曽我兄弟が父の敵である工藤祐経を討ち果たすという事件が起きますが、弟はその後頼朝の陣所まで押し入ります。実はこれは北条時政による頼朝暗殺未遂事件ではないかとも言われています。いずれにしても真偽は不明ですが、結局源氏の世も3代で途切れてしまい、後に北条氏が実権を握ることになるので、そのような説がでるのも不思議ではないかもしれませんね。 ブログランキングに参加しております。よろしければクリックお願いいたしますm(_ _)m