この間、『国家と文明』(まとめ2)にいただいたMr. Hot Cakeさんのコメントなどから出発して色々考察してきました。
>「自己責任論」、これは貧困が本来自己責任から来ているのではなく、制度的なひずみから来ていることに目を向けないで、制度を固定化してその中で所謂成功者に入ることを汲々とし、それがイコール「勝ち組・負け組」…大嫌いな言葉です…というグループ分けを生み出していることを知りながら敢えて他人を押しのける競争社会を作り出している。
全くそのとおりだと思います。『岩盤を穿つ』で湯浅誠も同趣旨のことを述べています。
そして、日本における「共同体的・集団同調的 精神風土」(おそらくそれには「人権思想と日本的精神風土」・「万人平等思想と共同体」で触れたような背景がある)は上記のような問題点を拡大してきたように思われるのです。
戦後においても進められた「企業社会における農村共同体化」、そして「企業別組合」(企業丸抱えの労働組合)の形成に関連して竹内芳郎は次のように述べています。
日本では近代国家それ自体が共同体原理を核心的なイデオロギーとし、みずから一つの強力な共同体となり変ってそこで「一君万民」思想を徹底化させたからこそ、中間の諸共同体を破壊できたのだ(・・・)。
この点で大いに参考になるのは、熊沢誠 : 『日本の労働者像』であって、そこには、日本の企業が一方では労働者たちをその出身の家族や郷土の旧共同体から切り離してバラバラにしておきながら、他方では自ら一つの疑似共同体となってそのバラバラになった労働者たちを共同体的に統合してゆくさまが、見事に描き出されている。
いわば日本大企業における、共同体的集団同調主義と激越な個人間競争主義との複合体 (・・・以下略 『天皇教的精神風土との対決』) を指摘するのです。
このような「日本的精神風土」、「企業文化」を背景に、日本の労働組合は基本的に「企業別労働組合」となっていったのだと思われます。(なお、企業別組合の源流を「大日本産業報国会」に求める考え方もあるようです。)
確かに戦後、かなりの期間労働運動に大きな影響を与えていた「総評」は、社会主義思想の影響も受けながら「階級的労働運動」を掲げて運動をおこないました。しかしながら、既成「社会主義国家」が抱える問題の大きさが誰の目にも明らかになっていくにつれて、「階級的労働運動」は後退し、産業別ならぬ「企業丸抱えの労働組合・運動」がますます主流になっていったのは必然の流れだったように思われるのです。
もっとも、そのような運動の問題点が現れたのは何も総評が解体した後ではなく、それよりもはるか以前、「公害による生命の破壊」に抗議する地域住民運動に対して「敵対的な役割」を労働組合が演じていた段階から問題が明らかになっていたといえるでしょう。
竹内芳郎は上位の統一者を戴いた閉鎖的な共同体のことを「平等な原始共同体」と区別して「第二次共同体」と名づけていますが、「企業丸抱えの労働組合」などはその典型でしょう。そのような「第二次共同体」ではなく「対等平等な市民的共同体」を打ち立てることの必要性に関しては、竹内芳郎の主張に賛同する人も多いと思うのですが、それはいかにして可能になるのでしょうか。
「日本の集団同調主義的精神風土に抗して討論文化(討論民主主義)を確立していく」という実践はその不可欠な条件であるように思われます。
その展望を切り開いていくヒントとなる実践として、1、スウェーデンで実践されている「討議民主主義」、
2、『どんとこい貧困!』で湯浅誠が提示している視点と実践、
3、現在、教育現場で注目され取り組まれつつある「討議を取り入れた授業実践」、などの3つについてこれから少し時間をかけて述べていきたいと思います。
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