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2010.08.05
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  さて、現実の社会に王権(専制的な権力)が成立し、権力的な上下関係や差別がはびこる時、「普遍宗教」はその万人平等思想、人権思想から「反権力的」な性格を身に帯び時には革命運動・民衆反乱の思想的基盤として働くことになります。

〔例えばキリスト教を基盤にしたドイツ農民戦争、道家の大道=大同思想を基盤にした中国農民反乱など〕

 日本の場合、仏教がそのような役割を果たしたことはほとんどなかったわけですが、竹内芳郎は唯一の例外として鎌倉仏教を挙げています。ここでは「一向一揆」を生み出した浄土真宗をとりあげておきましょう。(浄土真宗の親鸞は法然の教えを徹底したものと理解できます。)

 親鸞もその師であった法然も「念仏」をひたすら唱えることを誰にでもできる「易業」として選択するわけですが、その理由づけとして「一切衆生をして平等に往生せしむるため」という万人平等性を挙げています。〔まさに「普遍宗教」の面目躍如!〕

 『歎異抄』の中にも次のような挿話があります。「善信(親鸞)が信心も、(法然)上人のご信心も一つなり」という親鸞の発言に、思い上がりもはなはだしいとばかり、相弟子たち満場騒然となる中、ひとり法然はこの発言を全的に支持して「源空(法然)が信心も(・・・)善信房の信心も如来よりたまはりたる信心なり。(・・・)されば、ただ一つなり、」と断じたといいます。

 そこから出発して「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」と言い放ち、弟子づくり、寺づくり、教団づくりをすべて否定して、弥陀の前での「同信、同行、同朋」の人間関係に徹していったのは、親鸞のほうでした。(法然は人々に対して人師の立場を取っていた)

 このような(現世における)徹底した万人平等主義と「反権力的態度は、鎌倉仏教の中でもとくにこの派に際立っておりであればこそ、まさにこの派から百年間にもおよぶわが国空前絶後の大民衆反乱"一向一揆"がおこった」というわけです。   〔以上、『意味への渇き』316頁~327頁より〕

 竹内によれば、一向一揆に限らず、歴史に残る「民衆反乱」や「革命運動」の多くは、対等平等な「原始共同体」のエートスの復活を志向しています。ただし、その志向は「原始共同体」についての直接的な記憶ではなく、普遍宗教の開いた万人平等思想を基盤としているのです。

(例えば、一向一揆の内部組織も浄土真宗の「ご同朋」思想に基づく「講」を中心とする門徒たちの平等な寄り合だった。) 

 竹内芳郎は、一貫して日本の「共同体的、集団同調的精神風土」を問題にしていますが、共同体自体を悪としているわけでは決してありません

 問題は「支配者」、「上位の統一者」を冠した共同体(典型的なものは古代専制国家)であり、竹内はこれを対等平等な原始共同体と区別して「第二次共同体」と呼んでいます。そして、古代専制国家における支配の特徴を、「共同体帰嚮(ききょう)〔共同体帰属意識〕による支配の体系」としているのです。

 実は、この考察は『国家と文明』においてすでに展開されていたものです。『国家と文明』が解明していた「古代専制国家」の具体例と特徴を見ていただければ、「帝王が担う精神労働(公共的役割)」として「共同体繁栄のための公的呪術」(=「国家宗教」に関わる祭祀)があったこと、「共同体原理」で国家が形成されていたことを確認することができます。

 そのような考察(国家論)は近現代史と何らかのかかわりがあるのでしょうか。竹内は次のように述べています。

 「(帝国主義)国家間の対抗・摩擦がいよいよ激しさを加えると、近代国家ももはや〈外面国家〉などに甘んじているわけにはゆかなくなり、(・・・)どうあっても国民の内面からの国家への忠誠をかちとってくることが必要となる。その極端な形態がまさにナチズムであって、これは近代市民社会のまっただなかで(・・・)まことに人工的な手つきで〈血と土〉の共同体的心情を復権せしめようと狂奔する。そうすると、不思議なことに、近代市民社会のある要素と古代専制国家の要素とがすさまじい共鳴現象を起こす

 戦争に国民を駆り立てる必要性から「第二次共同体」を掘り起こす傾向、これは日本のファシズム体制においても「国家神道」を基盤とする「忠君愛国」思想として(それに抵抗するようなものは「非国民として排除する」といった集団同調的な共同体意識として)全面開花するわけです。

 しかし問題は、それを自己批判的に総括できるかどうかだ、ということを竹内芳郎は強調します。 

国家神道を軸とした戦時体制への加担について、)戦後、プロテスタント系の「日本キリスト教団」が「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を発表し、また浄土真宗系の「東本願寺」が(・・・)アジア人民を含む全戦没者たちのための「追弔法会」を催し、その場で侵略戦争加担の罪責を謝したこと、確かに異例事(他の教団は一切ほうかむりしたまま)であり、ともかくも異彩を放つ快挙ではあった。

 けれども、そうしたことが行われたのは、前者では敗戦後22年も経った1967年のこと、後者にいたっては(・・・)87年のことでしかなかった。 第二次大戦中、同じくナチの暴虐に屈服を余儀なくされたドイツの教会が、敗戦とおなじ45年に早くも「シュトゥットガルト罪責告白」を、つづいて47年にはさらに「ダルムシュタット宣言」を発表したのと比較するとき、(・・・)わが宗教界すべてに通ずる無責任体質の底深さに慄然とならずにはいられない。(・・・)

 けだし、おのれの過去を(国家や共同体を超えた普遍的な視点で)率直に検証する能力のない者に、おのれの新たな未来を設計する能力なぞあるはずのないことは、あまりにも明らかであるからだ。
               〔『意味への渇き』 364頁〕

 しかしながら、上記の指摘を受け止めなければならないのは「宗教界」だけなのでしょうか? 考えるべき点は数多くあると思われるのです。 

                                                                                  続く
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Last updated  2022.10.10 23:08:47
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