テーマ:暮らしを楽しむ(384705)
カテゴリ:心のつぶやき
疲れて死にそうな間に「掲示板」に書き込んでいただいた方のブログを拝見したところ「躁」がムクムクと膨れ上がりました。 「杉の花粉」はブログでもお断りしておりますが、『偏向した読書』の趣味があり、その知識は『非常に怪しげなもの』です。 始めから謝っておきます。絶対に本心から信じないでください。 「死んだ後」というのが、この日記のテーマです。 「死んだらどうなるのか」と「猫神(妻)」と良くお話をします。 「次に生まれ変わるとしたら猫が良い。」と今でも充分「ネコ」の性格を持つ「猫神」が言います。 そこで、『輪廻転生』が話題になります。 『仏教』では、『生まれ変わり』を説いているようです。 小さいときから仏教に親しんできた「杉の花粉」や「猫神」は、単純に『生まれ変わり』を信じています。 『生まれ変わり』とは、『天』『人間界』『畜生道』『餓鬼道』『修羅道』『地獄』の六道に生まれ変るようです。 「良いことをした人は極楽浄土(『天』)に行き、悪いことをした人は、『地獄』に落ちる」と聞かされて育ったものです。 でも、不思議なのは、『仏陀』の説話との整合性です。 『仏陀』は、王家に生まれました。 何不自由なく育った『仏陀』は、外出して初めて『貧困』『病気』そして『死』を知ります。 そこで、出家し修行して、『さとり』を得たということになっています。 『仏陀』の時代には、『現実の社会生活』自体が『地獄』で、『仏教』の究極の目的は、『輪廻転生』で極楽浄土(『天』)に生まれることではなく、『輪廻の環』を断ち切り『空』の存在になる『成仏』であったと読んだ覚えがあります。 外出して、『貧困』や『病気』で苦しむ人を見て『救いたい』というのが『出家の理由』なのですから、現実社会が『地獄』なのです。 それが、何故、『閻魔様』の裁判によって『悪いことをすると『地獄』に落とされる』ということになったのか。 『閻魔様』は『大黒様』であり、ヒンドゥ教の破壊神『シバ神』がモデルであったと聞いたことがあります。 つまり、『仏教』は、其々の地域に元々あって多くの者が信じていた多くの原始宗教の神様を取り込むことで、多くの『信者を獲得』していったのです。 加えて、『悪いことをすると『地獄』に落とされる』と脅すことにより、新しく獲得した信者に『倫理観念』を持たせていったようです。 ここで、初めて『地獄』という概念が生まれました。 それまでは、『現実の社会生活』が『地獄』ですから、六道の『地獄』など在るはずがありません。 そして その後も『仏教』は『変遷』を続けます。 『悪いことをすれば『地獄』に落とされる。それなら、良いことをすれば如何なるのか?』に対する回答です。 そうです。『良いことをすれば、『極楽浄土(『天』)』に行ける』のです。 ここで、初めて『極楽浄土(『天』)』という概念が生まれました。 『仏教』は、『信者を獲得』し続ける必要から『変遷』を続け、『今の現実社会』が『地獄』であった筈が、何時の間にか、新たに『地獄』という『恐ろしい場所』が考え出され、次に『極楽浄土(『天』)』という『素晴らしい場所』が考え出されました。 そして、『究極の目的』も『輪廻の環』を断ち切り『空の存在』となる『成仏』ではなく、『極楽浄土(『天』)』に『生まれ変わること』になってしまったようです。 ですから、今の日本人の考え方は、『変遷した仏教』に、更に『キリスト教』の『天国』と『地獄』の概念が『ごちゃ混ぜ』になって、『極楽浄土』=『天国』に行くことが『究極の目的』になってしまったと「杉の花粉」は勝手に思っています。 『信者獲得』は、今の『新興宗教』の専売特許ではなく、世界3大宗教と呼ばれる『仏教』『キリスト教』『イスラム教』も同じであったし、今なお『信者獲得』に一所懸命になっているようです。 ですから「杉の花粉」は『新興宗教』も含め『既存の宗教』には非常に懐疑的です。 『死んだら生まれ変わる』という考え方は魅力的ですが、未だ、誰も『死んだ後に生き返って』それが本当か如何か『実証』されたことはありません。 『某丹波氏』など『臨死体験』で『夢』を見たに過ぎませんし、『ブードゥー教』の『ゾンビ』は、人間を『仮死状態』にし『洗脳』することで、『文句を言わない労働者』とするための『儀式』から『創られたもの』です。 ここまで書くと「杉の花粉」は『某大槻教授』のような『科学万能主義者』かと疑われる方も少なくないと思います。 ですが、「杉の花粉」は『科学は1つの宗教』だと考えており、『既存の宗教』以上に懐疑的です。 『科学』は、『ある現象』を『普遍的な法則』に置き換え、『誰でも同じ方法で行えば同じ結果になる』という『再実現性』が求められます。 ですから、『科学』は『全てを解き明かす万能のもの』と思ってられる方も少なくないと思いますが、未だかつて『科学によって解き明かされたものは何一つない』と「杉の花粉」は信じています。 『物質を構成する最小のもの』すら、最新の『量子力学』の手に負えませんし、『宇宙の果て』なんて疑問については、『ステファン・ホーキング博士』の『宇宙論』は魅力的ですが、未だ全く判っていないというのが現状ではないのでしょうか。 『全く判っていないことを判った気にさせる』それが『科学』だと考えますので、『1つの宗教』と言っても良い過ぎではないと思います。 「それならお前は如何考えているんだ!」とあらゆる場所から非難されそうですが、「杉の花粉」は片田舎の貧乏な家に育ちましたので、『昔話』を祖母から良く聞かされたものです。 『座敷童子』『おしら様』『神隠し』などは無抵抗に信じていますし、『隠れ里=桃源郷』なんて素敵なお話じゃないですか。 『吉本隆明氏の共同幻想論』や『ユングの普遍的無意識層』などから、「一定の地域住民が『普遍的無意識層』で完全に疑いなく信じた場合に『神隠し』など『不思議なこと』は実現していた」と勝手に解釈しています。 『昔の無知で文字も読めない村落共同体の住民』は、『村に伝わる伝承』を疑うことはありません。 完全にユングの言う『普遍的無意識層』のレベルで、その『伝承』を信じていたことでしょう。 そういった社会では、『座敷童子』『おしら様』『神隠し』は実在していたのではないでしょうか。 昔の北海道には『コロボックル』が実在していたのではないでしょうか。 それが、『科学』や『宗教』、『教育』などにより『昔の無知で文字も読めない村落共同体の住民』の文化レベルが飛躍的に向上し、『村落共同体の一体的な住民の盲信』が失なわれた結果、『見えなくなった』または『いなくなった』のではないかと考えています。 TVで放送される『超能力者』『霊能力者』は何とも言えませんが、殆ど『疑って』います。 単独の個人だけが『見えたり』『感じたり』することはあったとしても、『人が見えないもの』を『除霊』するなど『能力を持つもの』が存在することは、如何しても理解できないからです。 「杉の花粉」も『霊的にマズイ場所』とか感じて、その場所から逃げ帰った後、『不可解な出来事』が起こったこともありますし、数日前の日記に書いたように葬儀の時など我が家では『不思議なこと』が幾つか起こりました。 でも、それは『不可避』的な出来事ですし、『人が見えないもの』を『除霊』するなど『能力を持つもの』が存在することは『タイムマシン』のパラドックスと同じ理由で信じられません。 つまり、未来から『人』が来れば『重量一定の法則』が「ぶっ飛んで」しまいますし、『一粒の砂が転がれば全宇宙に影響する』なんていう『カオス理論』から、未来から来た『人』は『一粒の砂さえ変化させてはいけない』ことになりますので、そんなことは不可能です。 それと同様に『人が見えないもの』を『除霊』するなど『能力を持つもの』が存在すれば『社会が大きく変化してしまう』筈です。 そんな『社会の大変化』もないまま、ノホホンと「杉の花粉」は生活しています。 それが『答え』だと考えています。 『面白くない』という単純な理由から、民放に関しては全くTVを見ませんので、現在どういう放送が行われているのかは全く知りません。 ですから、昔のように『座敷童子』『おしら様』『神隠し』を信じて、何時か『隠れ里=桃源郷』への道を見つけられると思って生活するのは非常に楽しいことだと思っています。 そして何時か不可避的な『お迎え』が来る。 『お迎え』がきたら誰でも経験することを、今から「どうのこうの」と考えるのは意味がないような気がします。 非常に勝手なことを書き連ねてしまいました。 不愉快に思われる方は絶対少なくないと思いますが、「杉の花粉」の勝手な考え方ということで、どうか御容赦願います。 「宗教」や「科学」について、非常に否定的な表現をしてしまいましたが、それらの存在価値を全く否定する意思はありません。 また、個人を誹謗中傷する意思は全くありませんので、そう感じた方は『楽天広場』に抗議してください。 『三木谷氏』が困るのは大変嬉しいことですし、「杉の花粉」は『楽天広場』の指示に従いますので、どうか苛めないでください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月13日 18時57分29秒
コメント(0) | コメントを書く
[心のつぶやき] カテゴリの最新記事
|
|