テーマ:たわごと(26739)
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新華ニュースさんによると
「AFP通信が『致命的なエボラウイルスは今日、アメリカ本土に上陸』と伝え」て。 「アメリカ当局は、エボラ対応に自信をもつよう国民に呼びかけているが 致命的で伝染性の高いエボラウイルスは アメリカの交流サイトで「エボラ大恐慌」を引き起こしている」そうな。 「報道によると エボラ感染者2人の帰国に抵抗感をもつ国民は多い。 『エボラ感染者の治療に当たる人々を尊敬しているが、 アメリカに姿を現すことを見たくない』という書き込みも」とか。 甘粛省で 腺ペストに罹(かか)った男性がひとり、死んじゃったからって。 いきなり 玉門市の住民10万人を、みんな隔離しちゃった、お国の報道だから。 米国人も、中国人も あんま、変んないよ!って、ニュアンスかも知れんけど。 たとえ、そうだとしても あたしは、米国人さんの判断は、間違っちゃいないと思う。 自己犠牲と、ドMの自虐って まったく違うもの、なのに。 なぜだか あたしたち日本人には、その違いが判っていない。 それって たぶん、あたしたち日本人って なんでもかんでも、自分自身のレベルまで、引き摺り降ろしてしまう、から? そもそも、英雄的行為なんて あたしたち庶民に出来るワケがない。 自分の生命を犠牲にして それでも、他人(ひと)を救っちゃう。 それ 間違いなく、特別なヒトだけの、特別な行為だから。 ならば あたしたちには、決まって真似できやしない。 そう 端(はな)っから、きっぱり、線引きをすればいい。 自己犠牲は 人間として、とっても素晴らしい行為です。 そこまで、なら いいんだよ。 けど、日教組さんは だから、あたしたちも、そう、心掛けましょう!って、続けちゃう。 それは 絶対に、間違っている。 最近、ハイジの村さんだったかな? イヌが、ヒトに噛み付いた!って記事があった。 ようやく 世間さまも、真っ当になった?って あたしは、すこおし嬉しくなったのだ、が。 だって、以前なら。 ヒトが、イヌに噛み付いたりしない限り 記事になんか、ならなかった、もの。 希少だから、稀(まれ)だから あたしたちは、関心を寄せるのであって。 そうして それが、とっても素敵なら、あたしたちは、感激して とっても醜悪なら、あたしたちは、眉を顰(ひそ)める。 大昔なら、イヌが噛み付くのは、当たり前。 それが イヌに、噛み付いちゃうヒトが、普通になって。 ようやく イヌが、ヒトに噛み付くのが希少って、報道されるようになった。 逆に言えば ヒトに噛み付くイヌも、イヌに噛み付くヒトも、あんま、いなくなって。 そういう、安全な今だから イヌが、ヒトに噛み付いて話題になる。 それは なんだかんだで、とっても、平和な証(あかし)だと思うのです。 そういう風に考える、と 自己犠牲ってヤツは とっても希少で、とっても稀だから いつだって、話題になって、あたしたちは感動しちゃう。 それで 教科書に載って、副読本に載って。 あたしたちは そんな奇特なヒトの行動を、とっても素晴らしいと判断する、心を養った。 けれど どこの国だって、たぶん、そこまで、なんだと思う。 だって どこの国だって、みんな、違って当たり前。 それが、基本中の基本だもの。 それぞれが、それぞれに 肌の色も、瞳の色も、生まれ育ちも、顔も容姿も そして、考え方も みんな、みんな、違っている。 それを 前提にするなら。 じゃあ あたしたちは、みんな一緒に、自己犠牲に励みましょう! とは 絶対に、ならない。 他人(ひと)がする行為を、素直に認めて 素直に、称賛できる。 それが たぶん、他国の教育の賜物で。 なんでもかんでも、自分のレベルにまで持ってきて ああでもない、こうでもない、なんて くっだらない自己批判なんか、しやしない。 自分の延長線上として、英雄的行為を考えるでなく ただただ、他人の善行だって、褒め称(そや)す。 そう きっちり線引きできるからこそ 自分の日常の判断が、決して、英雄的行為に引き摺られない。 だから アフリカで、エボラ感染者を救う医師には、すっごく感動して。 その、同じ心で 彼がエボラに罹患して、米国に帰国するってのを、許さない。 それは ただのワガママとか、手前勝手とか、そういう理不尽さでなく。 英雄的行為は、それは、それとして でも、日常の自己判断は、別にある。 なにより ヒトは、その考え方は、千差万別で たった、ひとつの正義なんか、有りえない。 そう、教育されたなら 特段、間違っちゃいない。 それを ダブル・スタンダードだ!って憤(いきどお)る、日本の感性の方が よほどに、どうかしていると、あたしは思う。 そもそも 自分の生命を犠牲にしてまで、ことを為すのと ただただ、自己憐憫の範疇で、他人(ひと)に優しくしようとする。 それは 根本的に、全く違うんだ。 そういう 他人に優しくレベルの自己犠牲が、日常茶飯事になって それが、もう 英雄的行為とも、称賛すべき事象とも、区別できなくなって。 そうして 自分が優しくされたいから他人に甘くなる…失礼、人間(ひと)に優しい社会になれば それは、それで、とっても素敵なことでしょう。 でも、さ。 あたしたち庶民でも、ちょっと頑張れば、手が届く その程度の、自己犠牲。 そういうのって ただの自己欺瞞の、たんなる自己満足の ただただ、ドMの自虐って、呼ばれない? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月04日 20時41分03秒
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