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カテゴリ:事件
昨夜は、学校に対して厳しい意見を書きました。
でも、単なる学校批判と受け取って欲しくないのです。 なぜ、学校に対して厳しい意見を言いたいかというと、私の夫も学校の先生であるからです。 だから、今の学校の現状をある程度知る立場にあります。 そして、子どもを守るための、学校の重要な役割を感じています。 学校にはたくさんの生徒たちがいて、そのたくさんの子どもたちの中には、大きな問題を1人で抱えて苦しんでいる子も、少なからずいます。 家庭に居場所がない子どもは学校に居場所を求めています。 でも、その学校が子どもを受け止めてくれる場でなかったとしたら、いったいその子はどうなるんでしょうか? 最近、夫の教え子にこういう問題が起こりました。 交際問題で母親と対立し、女の子が家出をしました。 でも、彼女は不思議と家出先から学校に登校しているのです。 彼女の最後の砦は学校なんだと思いました。 学校にも来なくなってしまえば、糸の切れた風船のようにどこかに飛んでいってしまうでしょう。。。。 学校に彼女の居場所があるから、学校に来れるのです。 家庭に居場所がなくなり、学校にも居場所がなくなったら、子どもはいったいどこに行くのでしょうか?・・・・あの世ですか? 今の時代、教師とは、学校とは、単に勉強を教えるだけでなく、子どもの心と向き合い、大人としての立場から子どもを助けて導いていくことが、求められているのではないでしょうか? ですから、単に頭が良くて教員の試験に合格したからと、安易に教師になって欲しくないのです。 今の子ども達の現状を知り、そこに向き合おうという意欲のある方だけが教師になって欲しいと思います。 前にも書きましたが、子どもは親の宝です。 大切な子どもを、教師によって死に追いやられた親の気持は、とても言葉にならないものだと思います。 いじめを見抜けなかった・・・などと、寝言を言う教師も同罪です。 子どもをちゃんと見ていないのは職務怠慢です。 また、いじめた子の親にも言いたい。 あなたの育て方を反省してください。 子どもがそういうふうに育ってしまったのは、あなた達の生き方に問題があったからではないのですか? いじめは社会が悪いから、と言って、当事者が責任を社会になすりつけるのは許されません。 責任を他に押し付けるのはやめて、自分を反省して、償いをして欲しい。 もちろん社会に問題があります。それは確かです。 でも、それは個人の罪の免罪符にはなりません。 個人の罪は個人で償うべきです。 いじめで命を失った子どもに、一生をかけて償ってください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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