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カテゴリ:政治・社会
先日、あるトークイベントでチベット仏教のダライラマについてのお話を聴く機会がありました。
今、チベットではダライラマの写真を飾ったり、ダライラマを祈ったりすることを禁じられ、チベット人は信仰の自由を奪われています。 チベットの未来に絶望した人々が、次から次へとヒマラヤを越えてインドのダライラマの元へ亡命していますが、途中で中国警察に見つかって射殺されることも多いそうです。 ヒマラヤ山中で、実際に中国警察に射殺されている映像が、ユーチューブで見られます。その映像は、たまたまその場所に居合わせた欧米人登山家が撮影したもので、全世界に公開されました。 しかし、中国国内では、規制がかけられているため、その映像を見ることができません。ですから、中国に住んでいる人達は、自分の国がどういう酷いことをしているのか分かりません。しかも、言論の自由の無い中国では、例え国家の悪行を知ったとて、非難することすらできません。そんなことをしたら、反革命罪とやらで逮捕されて拷問されるのがおちです。 ある日本人がダライラマに訊ねました。 遠く離れた故郷ではチベット人が中国政府に迫害され、自身も50年もの長い間亡命生活を強いられ、未だ祖国へ帰ることも叶わないという現状の中で、あなたはなぜ希望を失わずにいられるのだろうか?と・・・。 そしてダライラマは次のように答えたそうです。 「この世はすべて縁起で成り立っている。つまり、物事には必ず原因があって結果がある。今、チベットがこうした状況になってしまったのは、過去の私達に原因があるのです。チベット仏教は自分達の内側だけにしか目を向けていなかった。そして王宮内部も腐敗していた。そこを中国に付け入られてしまったのだ」 長い間独立国だったチベットは、ダライラマを中心に平和に暮らしてきました。そしてその平和に甘んじて、外の世界を見ることがなかったといいます。 「しかし、私は今、未来に向けて種をまき続けているところなのです。私が生きているうちにチベット解放が実現するかどうかは分かりません。でも今、私がまいている種は将来必ず芽を出すでしょう。ですから私は未来に希望が持てるのです」 ダライラマは、笑顔でこのように答えたそうです。 未来に向けて種をまく・・・・、素敵な言葉だな、と思いました。 私には、ダライラマのように「チベット解放」などという大きな目標はありません。 でも、今自分がやっていることが、将来の自分を決めるんだ、ということに気付かされました。つまり、私達は自分が意識しようとしまいと、毎日種をまいているのです。 いったいどんな種をまいているのか・・・? 毎日を、自分の思うがままに、無意識のうちに過ごしている、といいうのが現実です。 ああ~、それはちょっとマズイかもしれない・・・・。 もし、自分が望まない未来が来たとしても、それはきっと自分がまいた種から生まれたことなのです。 自分がどんな未来を望むか?・・・・それは、今の自分がまく種によって決まるのです。 ではどんな種をまけば、幸せな未来が来るのでしょうか? そこが問題ですね・・・・・ ただ一つ言えること・・・・。日々の自分の行いについて、よ~く考えることが大切だと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.06.15 21:52:10
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