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カテゴリ:ドラマ系の感想
八重の桜 第50回(最終回)
『いつの日も花は咲く』 「絶対にあきらめない!今、福島・東北に誓う」 内容 明治27年、八重(綾瀬はるか)は、広島の陸軍予備病院にいた。 看護婦達を指揮し、日清戦争の負傷者を日本、清国、両者を分け隔て無く、 毅然とした態度で看護をしていた。 中には、危険な伝染病の患者もいたが、八重はひるむことがなかった。 敬称略 最終回だからと言って、もう書くことはないのだが。 ホント今作。 結果的に、“どの部分”を描きたかったのだろう?? どれだけ贔屓目で見ても、個人的には1つの結論しかない。 大人の事情を加味した上で、 登場させた俳優を、バランス良く出演させる!! そう。 民放連ドラで、よくやる失敗パターンの1つである。 そこに主人公が誰かなど、関係ないのである。 ドラマは、色々なカタチで描かれるモノだ。 たしかに、今作が通常の群像劇ならば、それはそれで良いだろう。 これだけの人数を、バランス良く出演させるのも納得出来る。 だが今作の場合、大雑把に言えば、 数十年の時間経過が表現されている。 その時点で、群像劇は崩壊していると言っても過言では無いのだ。 繋がりもイマイチで、1,2カット、程度のことも多いですからね。 じゃ。。。一代記を描いたのか?? それもまた、1つの真である事は間違いない。 だが、それさえも、あれこれ描きすぎた時点で、 芯が定まっていないことを意味し、一代記も崩壊していると言って良いだろう。 たとえば、テーマを決めて。。。 群像劇のようでもアリ、一代記のようでもアリ。。。 たまに放送される、2週連続、2夜連続ドラマなんてのは、そういうのだろう。 だが今作の場合。 残念ながら、そのテーマがハッキリしていないのである。 数字が、ドラマの善し悪しの絶対評価ではない。 しかし、数字は、その評判や、話題性が加味されているのは間違いないのだ。 残念ながら、今作。 《大河ドラマ》であるからこそ、ふた桁はキープできたが、 それを除けば、目もあてられない状態になった可能性が高い。 パーツは良いところは多いんですけどね。 でも、まとまりが、ほぼありませんから。 最後にあえて書いておく。 《大河ドラマ》というモノを考えた場合、 一般的に先ず思いつくのは、やはり豪華なキャスティングであろう。 今作、たしかに、豪華なように、見えますが。 今作のような描き方で、さて、ほんとに豪華と言えるだろうか?? 最近、その“豪華”だと思わせるドラマが放送された。 《オリンピックの身代金》 なぜ?と思えるような部分まで、 誰もが知っている俳優がいたのは言うまでも無い。 もちろん、バーターだとか、大人の事情だとか そういうのもアリますが、 あの描き方こそが“豪華”だと思わせる、使い方であろう。 今作のように、使い捨てではなく、 毎回のように登場させていれば、そんなもの豪華でもなんでもない。 だから書いたのだ。 大人の事情を加味した上で、 登場させた俳優を、バランス良く出演させる!! と。 もう少し、《大河ドラマ》であることを考えて、 物語はもちろんのコトながら、俳優の登場時間も考えて欲しい! それが出来ないなら、 もう《大河ドラマ》という名前。。。外すべきである。 最後の最後にもうヒトコト。 最終回。。。回想を混ぜて、時間を延長するような姑息なことは辞めておくべき。 最終回だからこそ、主人公だけを描いて欲しかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月15日 18時59分25秒
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