名刺の思い出
住所はここ10年ほど、メールアドレスは10数年、まったく変わっていないのだけれど、気分転換とニーズに伴ってときどき名刺をつくりかえる。 今回のは過去最高にお気に入り。こういう写真を加工したものは、以前はばかみたいに高かったのに、今はずいぶんと安くなった。 上が表で、下が裏。著作なんて昔はプリントしていなかったけれど、永谷脩さんに「あやしいヤツと思われなくていいぞ」とアドバイスされたことがある。 それでも最初の頃は取材の現場に女なんて私ぐらいだったから、すぐに覚えてもらえたし、メジャーリーグにきてからもそう。ともかく90年代前半はライター不足で、ナンバーでもなんでも私がNFLまで書いていた。情報が不足していたせいか、「週刊ベースボール」も「ナンバー」しかなく、どちらも私がほとんど書いていたから、選手もよく読んでくれていて、「ああ、梅田さんか」とすぐに話が通った。 でも、最近はライターの数も増えたし、日本人大リーガーも数も増えた。野球界以外の人と知り合う機会も増えた。あやしい人物という印象をあたえないよう、名刺にも気くばりするようになった。 しかも、私の場合、アメリカ人にもわかってもらえる名刺にしておきたい。日本用とアメリカ用でつくっていたこともあるのだが、取材現場ではそれなりに集中したいから、混乱は避けたい。 社会人になって最初の名刺は角が丸いもの。女性は角が丸いもの、という規則があったのだ。へんなの。 フリーになってすぐは肩書きがわからなくて(笑)、名前と住所と電話番号だけのシンプルなものを作った。何しろ東亜燃料のOL(といっても、3か月しか働いていないから、職歴と名のるほどのものでもない)からいきなりの転身だったから、「フリーライター」なんて名のるのも本もののフリーライターに悪いような気がして・・・。 「スポーツライター」という言葉も今ほど一般的でなかった。 友だちからは「フリーターっていうんでしょ?」とも言われたが、それは違うんじゃない? だから、肩書きなしの名刺が長くつづき、アメリカに拠点を移した1990年、お世話になった編集者がつくったプロダクションとマネージメント契約していたから、そこで名刺をつくってもらった。 高田馬場の駅から徒歩1分。元「サンデー毎日」の編集者たちだったから、そこの下請け仕事が定期的にきた。鳥越俊太郎氏が編集長をやっていた時代。 これが大大大失敗。 「Weed」という会社名は、「雑草のごとく」という意味でつけたはずだが、アメリカ人にとっては「マリファナ」という俗語なのね。 たしか知り合ったばかりの夫も「すごい社名だなぁ」とあきれていたし、ぎょっとする人が多かった。 日本では誰もそんなこと指摘しなかった。学校でちゃんと教えてほしいわぁ。