カテゴリ:社会風俗
1912(明治45)年6月15日
102年前のこの日、日本で始めて、特別急行列車と命名された列車が、新橋=下関間で運行を開始しました。この列車は1等車と2等車ばかりで構成され、3等車は連結されていない、富裕層対象の編成でした。当時は列車に愛称はつけず、1列車,2列車と呼ばれていました。 1914(大正3)年12月に東京駅が完成すると、新橋発は、東京発に改められました。1923(大正12)年に、同じ区間に3列車と4列車が投入されましたが、こちらは3等車のみで編成された大衆向け列車でした。 列車に愛称がつけられるようになったのは、昭和時代となってすぐの頃で、前者に「富士」、後者に「櫻」の名が付けられました。戦前の特急は、この2本の外に、いずれも東京=神戸間を走る「燕」と「鴎」の2本があるだけで、合計4本でした。 東海道・山陽本線以外の線区は、急行列車は走っても、特急列車は運行されていなかったのです。 太平洋戦争が激しくなるにつれて、特急の運行は1本また1本と減らされ、1944(昭和19)年4月に運行停止となった「富士」を最後に、特急の運行はしばらく中止となり、戦後を迎えることとなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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