カテゴリ:日本史
クロニクル 張作霖爆殺
1928(昭和3)年6月4日 88年前のこの日、関東軍(日本の満州派遣軍は、当時こう呼ばれていました)の河本大作大佐らは、満州軍閥の張作霖を奉天(現瀋陽)郊外で爆殺しました。 この年5月、蒋介石の率いる国民革命軍による北伐は勢いを増し、北京解放を間近に控える勢いを示していました。ここにおいて、日本の田中義一内閣は、戦火が満州に飛火し、東三省(奉天、吉林、黒竜江の3省)における日本の権益が内戦に脅かされることを嫌い、張作霖に戦いを避けて満州に避難する事を勧めました。 張作霖は、迷った末に勧告を受け入れ、前日3日の早暁に北京を経ったのです。河本らは、張を爆殺することで生じるであろう混乱を利用して、関東軍を出動させ、満州を占領しようと企んだのでした。しかし、予想された混乱はおきず、関東軍は出撃のチャンスを掴むことは出来ませんでした。 この計画は失敗しました。 日本の田中内閣は、事件の真相を国民に隠し、「満州某重大事件」としか発表しませんでした。こうした事なかれ主義が、軍部をつけ上がらせ、3年後の満州事変をはじめ、その後の軍部の大暴走に繋がりました。 暴走に繋がるかもしれない芽は、早いうちに摘んでおくことが大事ですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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