カテゴリ:日本史
クロニクル 長屋王邸跡の発見
1988(昭和63)年8月26日 特に考古学分野に属する歴史上の大発見は、しばしば偶然のいたずらが作用することがあります。28年前の今日が、まさにそうでした。 ところは、奈良市の二条大路南一丁目の、奈良そごうの建設現場でした。平城宮跡は奈良市中心部を少し外れた所にありますが、何しろ奈良市は、古の都の隣接地ですから、大型建造物の建設には、事前の発掘が義務付けられます。 24年前の今日も、奈良文化財研究所による発掘作業が淡々と続けられていました。大学の夏休み中ですから、博物館学芸員の資格を取ろうとする学生たちが、実習を兼ねて、先輩の学芸員の指導の下に、発掘に参加するため、例年各地の発掘現場とも、作業がはかどるのが、この時期の特徴です。 この日もそんな1日でした。既に、貴族の邸宅跡と分かる大型の住居跡が姿を現していたのですが、この日の発掘中にいくつかの木片が出てきたのです。周辺を慎重に掘り進めると、出るわ出るわ、大量の木簡が発掘されたのです。いわゆる「長屋王家木簡」の発見です。この木簡の解読から、この地が長屋王の邸宅跡であることが明らかになったのです。 (長屋王は、藤原不比等の4人の息子たち(聖武天皇夫人の藤原光明子の兄たち)との政争に敗れ、無実の罪で逮捕され、自殺に追い込まれた悲劇の人物として知られる、天武天皇の孫の1人です。) 事情を知った地元や研究者は、木簡のみでなく遺構の保存を強く訴えたのですが、文化庁の動きは鈍く、そごうは頑なに建設を続行、遺構の大部分は破壊されてしまいました。文化庁の弱腰が残念でなりませんでしたが、建設を強行したそごうにも天罰はくだりました。 奈良そごうは89年10月2日に開店したのですが、御存知の通りのそごうの倒産で、2000年12月25日に閉鎖となり、現在はヨーカ堂の奈良店となっています。 ところで、発見された木簡は、奈良時代の貴族生活の一端を知る貴重な史料として、重用されています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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