カテゴリ:日本史
クロニクル サイパンで守備隊全滅
1944(昭和19)年7月7日 1942年6月のミッドウェーの海戦に敗れ、制海権を失った日本にとって、マリアナ諸島とりわけサイパン島の防衛は、重大な意味を持っていました。 それは米軍が新型爆撃機B29を完成させたからです。サイパンを失えば、東京や大阪への爆撃が、米軍の自由自在に行なえるようになるからです。 そう考えた軍部は、急遽サイパンに増援部隊を送り込みましたが、制海権を失っていた悲しさで、増援部隊の7割は海のモズクと消えたのです。ようやく、6月下旬に1万人強の増援部隊が上陸に成功しましたが、兵器は陸揚げできず、総員3万人強の日本軍が、6万人の米軍と対峙したのです。 そして73年前のこの日、もはやこれまでと悟った日本軍は、玉砕覚悟の総攻撃を敢行したのです。こうして、米軍の死者3,500人、日本軍の自決5千人、戦死2万5千人という、理に合わない戦闘が、終了したのです。 そして、軍部の恐れたとおり、その後、日本本土への空爆が次第に激しくなっていったのです。サイパン陥落前に条件付き降伏を選択する道があったように、私には思われるのですが、メンツにだけ拘る当時の軍部には、選べなかったのでしょうね。理性を失った連中が権力を掌握していることの恐ろしさ、これは肝に銘じておきたいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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