カテゴリ:人災
クロニクル 川治プリンスホテルの火災
1980(昭和55)年11月20日 39年前になります。川治温泉は、栃木県の鬼怒川温泉を、さらに車で20分ほど遡ったところにある、鄙びた温泉街です。 数軒、立ち並んでいる温泉宿は、いずれも増築に次ぐ増築を重ねたつぎはぎの蛸足建築になっています。その一郭にある、川治プリンスホテルで起きた火災事故です。 事故発生は、午後の3時頃だったのですが、45名という大勢の死者を出したことで、今に記憶されています。午後3時といえば、早出の宿泊客などがそろそろ到着する時刻。旅館のお客さんは、そう多くはない時間です。それなのに… 川治温泉は湯治客が多く、連泊で滞在する年配の客が多い宿だったため、滞在中の年配の客が、数多く犠牲となったのです。従業員が、火災報知器が作動したときに、事情を詳しく調べず、テストと勘違いして、「テストなので安心してください」という放送を流して、避難誘導を怠ったことも被害を大きくした原因でした。また、好天が続いた渇水期で、鬼怒川の水位が下がっており、川水の取水が出来ず、消火作業に手間取ったことも、被害を大きくしたようです。 火災と最初に気付いたのが、ちょうど団体客を乗せてきた観光バスの運転士というのも、ホテル側の怠慢でした。 45名の犠牲者には、自分が案内した団体客を助けようと、火の中に飛び込んで殉職した、東都観光バスのガイド嬢と、旅行会社の若い添乗員の2名が含まれています。約40年前の日本には、今の政治家より、ずっと責任感の強い若者がいたことも、記憶しておきたいですね。 事件後、女将には実刑判決が下され、ホテルは取り壊されました。 日本の商業建築物火災としては、1972年の大阪千日デパート火災(死者118名)と1973年の熊本大洋デパート火災(死者104名)に次ぐ3番目の犠牲者となりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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