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クロニクル 日本赤軍のクアラルンプール事件
1975(昭和50)年8月4日 46年前のこの日、パレスチナ解放闘争を支援していた日本赤軍が、マレーシアの首都、クアラルンプールで、米国大使館とスウェーデン大使館を占拠、館員を人質にとって、日本政府に対し、過激派等7人の釈放を要求しました。 7人のうち5人は赤城山荘事件とリンチ殺人事件を起こした連合赤軍のメンバーでしたが、他の2人は左翼思想とは接点のない殺人犯だった点に、意外感が持たれました。 事は外国のしかも外国公館が舞台です。当然夫々の大使館については、米・スウェーデン両国に治外法権があり、大使館の安全確保については、マレーシア政府に責任がありました。 日本政府自身には、実力制圧の選択肢はなかったのは、幸いだったといえそうです。米・スウェーデン両国も人質となった大使館員等の無事救出を望み、マレーシア政府も両国に遠慮して、強行解決を強く主張することはありませんでした。 後は、当時の三木内閣の判断となったのですが、刑が確定して服役中の囚人や未決囚を釈放する法はありません。そこで、超法規的措置として、刑の執行を1時猶予する方式を取り、本人の意志確認によって、赤軍派の要請に応じる意志を表明した5人を釈放することで、人質事件は無事解決に至りました。 時に8月5日のことでした。事件から36時間あまりでのスピード解決でした。釈放を要請された7人のうち連合赤軍の坂口弘と松浦某の2人は、路線の違いを主張して赤軍派への協力を拒み、刑務所に留まりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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