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ポンコツ山のタヌキの便り

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2015年03月31日
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 昨年9月に開始されたNHK朝の連続ドラマ「マッサン」は今年2015年の3月28日に終了しましたね。私は、これまでNHK朝の連続ドラマを視聴することがほとんどなかったのですが、このドラマの主人公がウイスキーづくりに情熱を燃やす竹鶴政孝とその妻リタの実話をもとに創作されることになったと知ってとても興味が湧き、ほぼ全話を毎朝楽しむことになりました。また、竹鶴正孝『ウイスキーと私』(NHK出版)、オリーヴ・チェックランド著、和気洋子 翻訳『マッサンとリタ ジャパニーズ・ウイスキー誕生』(NHK出版)、早瀬利之『リタの鐘がなる 竹鶴政孝を支えたスコットランド女性の生涯』(朝日文庫)、植松三十里 『ヒゲのウヰスキー誕生す』 (新潮文庫)、植松三十里『リタとマッサン』(集英社文庫)、「『マッサン』と呼ばれた男 竹鶴正孝物語」(産経新聞出版)等も購読したものです。

 テレビドラマでは、マッサンこと旧制の大阪高等工業の醸造科で学んでいた亀山正春(玉山鉄二)が住吉酒造に就職後、社長の田中大作(西川きよし)の命令でスコットランドに留学し、ウイスキー醸造を学ぶとともに同地でエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)と恋におちいって結婚します。ドラマは、妻のエリーを連れて日本に戻ったマッサンが第一次大戦後の不景気のために住吉酒造ではウイスキー作りが出来ないために退職しますが、妻のエリーに励まされてウイスキー造りの夢を捨てず、日本で初めてのウイスキー醸造事業に本腰を入れることになった鴨居商店の鴨居欣次郎(堤真一)に高額で醸造技師として招かれることになります。

マッサンの妻エリー役を演じる女性は、約500人が参加したオーディション から選ばれた米国出身の女優シャーロット・ケイト・フォックスですが、エリー 同様に慣れない異国で懸命に努力する姿がとてもチヤーミングで、このジャパニーズ・ウイスキー造りのドラマの大きな魅力となっています。

 ドラマを視聴して、これまで日本ではほとんど知られていなかったウイスキー醸造業の大変さがよく分かりました。ウイスキーは醸造後に熟成するのに最低5年はかかるため多額の資金が必要ですし、値段は他の酒類に比較して高額ですし、味はウイスキー独特のピート臭が煙っぽいと日本人になかなか受け入れられなかったようです。

 そんなウイスキー醸造創業期の困難に屈せず、経営者として日本人の嗜好に合わせてウイスキーを改良していこうとする鴨居商店の鴨居欣次郎とウイスキー醸造技師として本格的なウイスキー造りを目指すマッサンとの対立が次第に深まっていくのですが、そんな経営者と技術者との対立過程も興味深く描かれていました。

 マッサンは自分の納得できるウイスキー造りを目指して鴨居商店を退社し、北海道の余市に工場を設立します。しかし、マッサンの工場から出荷されたウイスキーはなかなか売れないようで、戦前は日本海軍、戦後は駐留軍に買い上げてもらってなんとかウイスキー醸造事業が続けることが出来たようです。こんなジャパニーズ・ウイスキーの誕生の物語にエリーというスコットランド生まれの外国人妻が、慣れない日本での生活にもめげず夫を励まして「人生はチャレンジ&アドベンチャー」をモットーにして明るく前向きに生きる姿が加わって強く心を打たれました。

 私は、独身時代、寝酒にウイスキーを少量生で飲むことがあったのですが、結婚後は夏の暑い季節に夕食時にビールをグラスに一杯程度飲むようになり、腎不全で健康を害してからはほとんど酒を断っていました。それがテレビドラマ「マッサン」を見るようになってからまたウイスキーを楽しむようになりました。竹鶴正孝『ウイスキーと私』(NHK出版)によると、実在人物のマッサンはウイスキーを毎日飲むような人はウイスキー1、水2の割合の水割りを勧めていましたので、私も小さなグラスにウイスキーを30mlほど入れ、そこに氷を一個落として水をその2倍ほど注いで楽しんでいます。


マッサン(竹鶴正孝)略年譜
1894年 広島県竹原市に造り酒屋の三男として誕生。
1916年 旧制大阪高工(現大阪大学工学部)醸造科卒、大阪の摂津酒造に入社。
1918年~1920年 イギリスに留学、スコットランドのウイスキー蒸留場で修行。
1920年 ジェシー・ロベールタ・カウン(愛称リタ)と結婚、同年日本に帰国。
1922年 不景気のため摂津酒造でのウイスキー造りを断念し同社を退社。
1923年 寿屋(現サントリー)にウイスキー醸造技師として入社。
1924年 寿屋のウイスキー山崎蒸留所完成、初代工場長に就任。
1929年 日本初の本格ウイスキー「白札サントリー」発売。
1934年 寿屋を退社、独立して大日本果汁を設立、北海道余市にウイスキー蒸留所完成。
1940年 余市初の「ニッカウヰスキー」発売。
1956年 「丸びんニッカウヰスキー」(二級、通称丸びんニッキー)発売、大ヒット。
1961年 リタ64歳で死去。
1962年 「スーパーニッカ」(特級)発売。
1979年 85歳で死去。





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最終更新日  2015年05月09日 16時07分13秒
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