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カテゴリ:やまももの創作短編
内川雅人くんが高校2年生のとき、彼の父親は大阪府松原市に一軒家を借りて民間会社で働き始めましたが、半年も経たないうちに「いやだ、いやだ」と音を上げ始めました。 父親は畑地灌漑のためにスプリンクラーの技術的な設計、施工をすることを主として考えていましたが、まだまだスプリンクラーが畑地には普及していませんでしたから、まず農家にパンフレットを持ち歩いて宣伝普及活動をしなければなりません。一軒一軒農家に頭を下げて廻っての営業活動は、これまで大学教員をしていた父親には大変苦痛なものだったようで、土日に奈良の家に帰ると雅人くんの母に「民間会社を辞めたい」と弱音を吐くようになりました。 そんな父親の心を慰めたのが畠山みどりが唄ってヒットした「出世街道」(作詞:星野哲郎 作曲:市川昭介 )でした。レコード店で購入して来たこの歌謡曲の「やるぞみておれ、口にはださず」「男のぞみをつらぬく時にゃ、敵は百万、こちらは一人」「俺の墓場は、おいらがさがす、そうだその気でゆこうじゃないか」「泣くな怒るな、こらえてすてろ、明日も嵐が、待ってるものを」なんて歌詞部分を何度も口ずさんでいたものです。 しかし雅人くんの父親は、民間会社に転職して3年も経たないうちにとうとう辞職してしまいました。雅人くんがちょうど大学に入学したばかりのときで、父親が無職だったので大学の事務で授業料免除、奨学金(日本育英会)貸与の申請手続きを行ったこを彼は鮮明に覚えています。 しかしその後、父親は以前勤務していた大学から内地留学先でお世話になった教授の紹介で、島根の大学に新たに職を得ることができました。 そんな父親のこの民間会社での体験が、雅人くんのその後の生き方に大きな影響を与えたものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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