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カテゴリ:本人はいたってまじめな本の話(本がだよ)
人口の中に一定数存在すると思われる、ディスレクシアの人に対する改善を眼目にした本なんだけれど、それ以外のことについて、ようちゃん2号は考えられると思ってこの本から離れられないんだな。
以下↓引用。 --------------------------------------------- ディスレクシアの子供と成人は、代償的な読字系統に頼るようになることもわかった。ディスレクシアの人びとが単語を発音しようとする際に記録される画像では、左脳半球が働いていないことがわかる。その代わり、スピードは遅くても正確に読める人は、代替的な第二の神経回路に依存している。神経回路を修復するのではなく、別の回路に頼っているのである。 --------------------------------------------- 以上↑引用。 ようちゃん2号は、ディスレクシアではないにしても、理解のときになんか人とは違う脳の部位で認知しようとしているのではないかと思う。 スピードは遅くても、何とか噛み付いて、そんで定着させるというような…。 そして、そういうことが通常では可視化できない脳の中でされているものだから、ボーっとしていると見られたり、バカと違うか?っていうことにもつながっていたかな? 以下↓引用。 --------------------------------------------- ディスレクシアの人々がブローカー野に強く依存しているのはすでに述べたが、さらに、右脳半球にある他の補助的系統も利用している。この神経系統は機能こそしているが、悲しいかな、自動的に機能するものではない。聡明なディスレクシアの成人が、正確に読めるようにはなるが読むスピードが遅くて疲労を伴うという前述の不可解な現象は、こうした発見によって説明できる。 --------------------------------------------- 以上↑引用。 ようちゃん2号、けっして読むスピードが人より劣っているとは思わないのね。 ただし、かなり集中して読んでいるかもしれない。 以下↓引用。 --------------------------------------------- 左後脳系統における神経の障害が、迅速で自動的な単語認識を妨げているのだ。補助的な右脳および全能の系統の発達によって、時間はかかるが正確に読めるようになる。ディスレクシアの人々は、読字のための自動的なシステムではなく、「マニュアル」のシステムに頼らなければならない。 --------------------------------------------- 以上↑引用。 マニュアルのシステムに頼れるようになるためには、まず、そのシステムづくりが必要だよね。 ところが、そういうことはお構いなしに、押し付けときゃできると思うかな? マニュアルなだけに、構築するのにもたぶん時間がかかるんだと思うんだけれど…。 こういう研究がありながら、なんかその成果が使われていないような気がする。 以下↓引用。 --------------------------------------------- 習熟した「読み」のための神経的なコンポーネントが特定されたので、現在、科学者たちは、こうした系統がどうやって互いに作用するのかについて考えている。詳細は避けて話を進めるが、読字のような高度な作業は、局所的な特定の場所で行われるのではなく、幅広く分散している神経系統全体の中で行われる。オーケストラで言えば、ひとつのパートというよりは神経系全体のシンフォニーによって成り立っているのである。 --------------------------------------------- 以上↑引用。 たぶんなんだけれど、局所的な特定の場所で行われないということは、その部分部分の使われ方の強弱も人によって違うということではないかと思う。 ディスレクシアに限らず、脳のパートの代償の仕方が、その人それぞれの個性を形作っているんじゃないかな? それなのに「そういうことは全部甘えだから許さないよ」って、それぞれの個性を認めないし、脳の適切な回路を形作る前に画一的なものを押し付けていいとするひずみが、「愛国心教育」という発想だとか「言うことを聞かない子どもへの虐待」ということにつながるんだと思う。 (トラックバック) 意図的に個性のない子や、脳の適切な回路構築のない子供を作ろうとしている感じがするよ。 うーん、違うかも…? そういうことにもうすでに成功してきたから、こういうことにさっぱり思い至らない人が今、たくさんいると感じるんだな。 「愛国心教育は必要だ」って平気で言えちゃう人って、脳の適切な回路構築ができていない人のように思うもの。 「中国の反日教育が実を結んだから日本人バッシングが起こる。そういう教育に気づかない中国の奴らはみんなアホ」と指を差して平気な人ほど、そういう教育が日本でもちゃんと実を結んでいることに気がついていないアホなんじゃないかな? できればそのアホさ加減に気がついて欲しいと思うんだけれど…。 うーん、この人の脳の中は人を非難することで自分を見ないという個性を発達させて、脳の代償行為をしている? …なんか、話がズレた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月10日 16時08分29秒
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