テーマ:子どもと教育問題(292)
カテゴリ:教育行政・教育再生会議
中教審の中間報告まとめについては、もうちょっと勉強してから何か書きたいと思います。
今日の真面目日記はタイトル通り、「町村官房長官の記者会見」から、「脱ゆとり」「中教審」についての発言部分についてです。 「学校側、自分で考える習慣乏しい」教育問題で町村長官 asahi.com 2007年10月31日19時45分 記事が短くて省略が難しいので以下全文を引用します。 ------------------------ 町村官房長官は31日の記者会見で、中央教育審議会の部会が小中学校の授業時間の増加を大筋で了承したことについて「ゆとり教育は間違っていたとは思わない。ゆとり即ゆるみ、即授業時間の減少ということが、結果として学力低下を生んだ。改めてしっかり基礎基本はやるということを徹底しないといけない」と一定の理解を示した。 一方、総合学習の時間が削られる見通しになったことには疑問を呈し、「教科横断的テーマを考えてみようということなのに、学校現場では自分の頭で考える習慣が誠に乏しく、やり方が分からない」「そういう認識が中教審は足りない」など、学校側や中教審を批判。「官房長官というより、元文部大臣の個人的感想を述べた。ちょっと言い過ぎたかもしれない」と語った。 ------------------------ 10月28日の日記でちょっと触れましたが、私は、「ゆとり教育」や「総合的な学習」そのものについては、かなり賛同するところが多いです。だから、この記事の町村官房長官の発言のはじめのところは一応賛成・・なんですけど、「ゆとり即ゆるみ、即授業時間の減少ということが、結果として学力低下を生んだ。」という点にはちょっと疑問が残ります。 まず、ちまたでいわれている「学力低下」は本当なのか、という疑問があります。問題なのは、全体的な「学力低下」ではなくて「学力格差」なのじゃないか、という思いがあるからです。また、「学力低下」にしろ「学力格差」にしろ、その原因が現行学習指導要領下の「ゆとり教育」のカリキュラムにあるのか、あるとしたらどこにあったのか、ということも疑問に思っています。 で、町村官房長官発言をもうちょっと詳しく知りたくて調べました。 そうしたら、↓MSN産経ニュースに詳細が掲載されていました。 町村官房長官の記者会見詳報(31日午前)MSN.産経ニュース 2007.10.31 13:00 記者会見でのさまざまなテーマについての質疑応答詳報のうち、「中教審」についての部分を全文引用します。 -------------------------- 【中教審】 --中央教育審議会で中間報告がまとまり、学習指導要領について授業時間を増やし、ゆとり教育からの方針転換が明確に打ち出された。政府としては中間報告を受け、どのように生かしていくか。さらにゆとり教育は政府として失敗だったのか 「まだ教育課程部会で大筋了承ということなので中央教育審議会の本体でさらに議論が深められることだと思います。しかし、来年3月ぐらいには指導要領の改訂の運びになると思う。ゆとり教育は私も文部大臣を2回やっており、ししゃべりだすとうんと長くなるから短くしますが、ゆとり教育は間違っていたとは思いません。ゆとりという言葉を勝手にいろんな人が解釈して緩みにつながった。ゆとり教育の中でも基礎基本はしっかりやるのははっきりしているにもかかわらず、ゆとり、即緩み、即授業時間の減少というようなことが結果として学力低下という大変保護者のみなさん多くの方々が心配する状況がうまれたのではないだろうか。その意味でもう一度あらためて基礎基本はやるんだよ、ということは徹底しなきゃいけないと思う。大筋了承されたことは結構なことだろうと思っている。例えば、その中で「総合学習の時間」というものが設けられた。これを時間数が減るということになるようですが、これについてはいいんだろうかと疑問を持っている。なぜかというと総合学習の時間はいろんな教科を超えて自分の頭で、生徒も先生も自分の頭で考えてこの半年、1年、例えば国際化という問題、環境という問題、特定の教科だけではない、いえば教科横断的なテーマについてみんなで考えてみようと。町おこしとか。ところが学校現場にいくと、自分の頭で考える習慣が乏しいから、やり方が分からない。分からないから文部省にマニュアルをみせて示せと。僕が大臣のとき、文部省に『絶対にマニュアルを示すな』と言った。なぜかと言うと、示した瞬間に頭を使うことをやめる。何のための総合学習の時間かわからない。だけども、試行錯誤がどちらかというと現場の人たちはやりたがらない。結果、むだな時間になってしまう。普通の教科に振り替わってしまう。誠に情けない姿がでている。むしろ、よしんば時間が減っても、いかにこれを生かすか。高校、大学から社会にでてどこにもマニュアルも教科書もない世界に入っていくんだから、与えられた知識だけで十分っていうわけではない。それをどう活用するのか。自分の頭でどう組み立てていくのか。そういうのがなければいけないのであって、そういう訓練を小学校低学年は無理にしても高学年、中学校、高校と上に行くのにしたがってそういう時間を増やしていかないといけない。その辺の認識が中教審は足りないと思う。これは官房長官の発言というより、元文部大臣の個人的な感想を述べたとしてもらった方がいいのかもしれませんが。ちょっと言い過ぎたかもしれんな。まあ、このぐらいにしましょう」 -------------------------------- 「ゆとり教育は間違っていたとは思いません。ゆとりという言葉を勝手にいろんな人が解釈して緩みにつながった。」という部分は、asahi.comの記事では省略されている部分です。「勝手にいろんな人が解釈して」というのが、学習指導要領作製において行なわれたという認識なのか、それとも、「学習指導要領」の運用上の問題としてとらえておられるのか、さらには、ちまたに多くあった、「ゆとり教育批判」をさしておられるのか、ちょっとよくわからないところがありますが、「ゆとり、即緩み、即授業時間の減少というようなことが結果として学力低下という大変保護者のみなさん多くの方々が心配する状況がうまれたのではないだろうか。」という発言から考えると、「ゆとり教育の理念」はOK、「現行学習指導要領」は問題あり、という認識でおられるのかもしれません。学習指導要領に基づいた授業時間では不足だった、ということを言っておられるわけですから。 「総合的な学習の時間」の削減についての疑念については、概ね賛同します。 また、「ところが学校現場にいくと、自分の頭で考える習慣が乏しいから、やり方が分からない。分からないから文部省にマニュアルをみせて示せと。僕が大臣のとき、文部省に『絶対にマニュアルを示すな』と言った。なぜかと言うと、示した瞬間に頭を使うことをやめる。何のための総合学習の時間かわからない。」という、町村官房長官(というよりは、元文部大臣のほうがいいかも)の信念は素晴らしいと思います。 ただ、当時の文部大臣としては、ちょっと時代背景を読み違えておられたかもしれません。「ゆとり教育」を担う先生方は、町村元文部大臣よりも年下の方が多く、まぁ、中堅・ベテランである先生方は私と同世代、それこそ「期待される人間像」の教育を受けて成長し、マークシートテストの受験優等生だった「優秀な人材」で、80年代に学生時代を謳歌した、かつての「新人類」「マニュアル世代」ですから、「脱マニュアルのためのマニュアル」くらいあったほうが、かえって積極的にのびのびと動けたような気がします。いや、「高校、大学から社会にでてどこにもマニュアルも教科書もない世界に入っていくんだから、与えられた知識だけで十分っていうわけではない。それをどう活用するのか。自分の頭でどう組み立てていくのか。」つまり、甘ったれるな、しっかり頭を使えという叱咤激励もわからないでもないんですが。 「そういう訓練を小学校低学年は無理にしても高学年、中学校、高校と上に行くのにしたがってそういう時間を増やしていかないといけない。その辺の認識が中教審は足りないと思う。」・・「そういう訓練」自体をあまり受けてこなかった世代が「教えなくてはならない」わけですから(ここで書いている「教える」主体は学校の先生方だけでなく、親も含みます)、「脱マニュアル」のための発想法をまず「教える側」が学ばなくてはならなかったわけです。また、かなり力量の必要な取り組みですし手間がかかりますから、それなりに人員の手当てを十分にしないとやれないことであるとも思います。 「脱マニュアルのマニュアル」とその「活用法」・・ここが不足していたのではないでしょうか。結局、町村元文部大臣の意図とはうらはらに、市販のマニュアルが世にあふれました。なかには、かなりのトンデモがまざってしまったことも周知のとおりです。 例えば、TOSSです。TOSSのすべてを否定するわけではないし、もちろん、TOSSのサイトやサークルで自己研鑽を重ねておられる先生方にはたくさんの素晴らしい熱心な先生がおられることも承知してますが、「すぐに使える」現場からのマニュアルとなっているTOSSの実践報告のうち、「環境」「エネルギー」「平和」についての授業は、「あの、教え方も大事なんですけど、まず基礎知識をしっかり持ってください」といいたくなるようなものもたくさんあります。TOSSの実践報告には、先行実践の報告を「マニュアル」にして、工夫を加えた「追試」という名の後発実践がけっこうありますが、基礎知識の部分を先行実践に頼っているからなのか、情報ソースの確認が甘かったり、科学的な記述に見えるものがオカルトだったりする事例がけっこうあったりするんです。 まぁ、文部省、文部科学省が音頭をとって「脱マニュアルのためのマニュアル」をつくったとしても事態はあまり変わっていなかったかもしれませんし、過去をさかのぼって「犯人さがし」をするよりは、これからの手立てを考えて取り組むことが重要だと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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