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カテゴリ:取り敢えずの記
明治維新後から昭和初期に亘っては、とんでもない超能力者が続出したことで知られる時代でもある。
有名な所では高島易断で知られる高島嘉右衛門。 実業家としても大活躍で、現在の横浜を作った人といって過言ではない方である。 大本教で有名な出口王仁三郎も挙げられる。 が、私の中では長南年恵は全くの別格という一人である。 Wikiでは割愛されている話も多いようだが、この方は神様が、そのまま地上に降り立ったような人である。 2008年に、TVでも取り上げられているようですね。 裁判史上唯一、その超能力を認められた人でもあるが、無学で無垢無邪気、傍目にもバカにしか見えなかったという彼女は、それでいながら降神による書や漢文を残している。 霊能力者の多くが「頭脳明晰で、能力に溺れたのでは?」と想われるのに対し、彼女は慕う人々が自主的な集いを作った以外、団体らしいものも作らず、本を残す等と言うこととは無縁であった。 縁者による記録が残っていなければ、全く我々の耳目に入らなかったかもしれないような人である。 又、どうしても、その超常能力だけに目を奪われてしまいがちだが、彼女が別格なのは、それだけではない。 彼女自身は愚物と想われる程の無欲。 幼少の頃から、請われるままに羽織でもかんざしでも、なんでも与えてしまったという。 その超能力の発揮も同様で、病人に御神水を与えたり、困った人のために物寄せしたり、予見を与えたりと言った具合で、他の能力は、ほとんど目にする機会があった人が目にしただけ、という。 与えられるべき人に与えられた能力、とでも言おうか。 彼女の場合、もはや霊能者だとか超能力者などという括りの中に同列に並べるのは忍びなく、たとえ、そのような能力がなくても、既に奇蹟のような人なのだ。 後代の我々にとって惜しむらくは、その人柄通りにコレといった記録の類事態すら極僅であることだ。 遠からず、またメディアでも取り上げられるとは想うが、その超常的な能力にではなく、その在り様にこそ焦点を当てて欲しいと心底、想う。 いつの日か、かように美しい人、存在になることが出来るものなのだろうか? と想うことすら恥ずかしい。orz だって・・・人間だもの、ってか(爆)? 溜息が出るほど透き通った、まさしく神人である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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