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『毎日新聞』日曜日の書評欄(10月9日)の<この人・この三冊>は、「林達夫」。選者は谷川健一で、選んだ三冊は、『歴史の暮方』『林達夫セレクション2 文芸復興』『笑い』(ベルクソン)。
『笑い』を選んだ意図は分かるけれど、『思想のドラマトゥルギー』(平凡社ライブラリー)を入れてほしいよな・・等と勝手に考える。 一時、林達夫と藤田省三に「凝った」時期があって、よく読んだ。藤田省三についてはまた改めて書きたい。 さて、とりあえず、林達夫だが、私が彼を「発見」したのは、選者も紹介している『歴史の暮方』の中に収録されていた「鶏を飼う」を読んだ時だった。中公文庫だった。 著作集の解題を見ると、「鶏を飼う」は、1940年3月号の『思想』(岩波書店)に掲載され、1946年に『歴史の暮方』筑摩書房 に収録されている。 1940年といえば、太平洋戦争が始まる一年前である。その年に林は、「鶏を飼う」を書いた。以下に内容を簡単に紹介する。 私は他人からは札つきのディレッタントのように見られているが、趣味や娯楽に身を入れたことはない。ただ、生活的雑事を大切にし、凝り性なので良く調べて自分でやってしまう。私は最近鶏を飼い始めている。 以下、林は、鶏の「飼料」、つまり「エサ」の問題に話を絞り込む。そして、彼が気に入っている「横斑プリマス・ロック」という品種についても。 たかが「鶏のエサ」から何が見えてくるか。 「満州からはとうもろこしも高粱も大豆粕もろくろく来ない。・・・仏領インドシナやジャワや南米のとうもろこし、カナダの小麦屑がほとんど輸入できなくなった故にこその飼料難だから、そこから何かを期待することも出来ない」 「もっとも『不経済』だったはずの。わがプリマス・ロックが、・・早くも『斯界の花形』として登場しているのだ。たった三ヶ月前に、横斑ロックはおよしなさいと言われていたのに! 私は唖然として『日本的テンポ』のジグザグの激しさと素早さとに又しても驚き入っている次第である。 これで見ても、発展という言葉はわが国には全然不用であるらしいことがわかる。変転という言葉でたいていの移り変わりは片付くからである。 文化の水準をどこまでも守り通そうとする熱意のない国民は、実は文化の何たるかをろくにも知らない国民であろう。」 こう書いてきた林は、「新聞や、何々公論などと言う気の抜けた印刷物に目を通す暇があるなら、名もない産業団体の機関誌でも読むほうが、日本の現実についてよほど深い認識が得られる」と書き、最後の言葉を書き付ける。 「馬鹿につける薬はない。馬鹿は結局馬鹿なことしかしでかさない。迷惑するのは良識ある人々である。ここに言う馬鹿が誰のことを指しているかは、諸君の判断にお任せして、私からは言わないでおく。」 「鶏のエサ」という一見して小さな窓から何が見えるか。 林が語っているのは、鶏のエサの不足である。しかし、「飼料」という言葉を、「食料」と置き換えたらどうなるか?ことは鶏のことに止まらないという事は、読み手が丁寧に読めば了解できることではないか。 この時期、すでに心ある人たちは、「奴隷の言葉」で語らねばならなかった。 林は、『歴史の暮方』の序(1946年)で、「この書に集められた文章が書かれた時代、すなわち1940年から42年にかけて、わが国は世を挙げて一大癲狂院と化しつつあるの感があった」と書いている。(「癲狂院」とは、キチガイ病院、「キチガイ」という言葉は、最近は使用が控えられているようだが、ここではこう言うしかない) そして、序の末尾にこう書いた。 「人はこの書の中から、今となっては何の甲斐もなき予見や洞察や風刺などという、つまらぬ知性の火花のはかない名残を捜しださない様に望む。」 選者・谷川は、以下のように書き始めている。 「林達夫の『歴史の暮方』に収められた文章の多くは、太平洋戦争前夜の日本に生きる知識人の絶望感を、低い声で、イロニーをまじえて、つまり反語的に述べたもので、時代を越えて、今なお読まれるべき名著である。」 「今なお読まれるべき」なのはなぜなのか?「わが国は世を挙げて一大癲狂院と化しつつある感が」あるからか? 「馬鹿につける薬はない」という言葉が、「時代を越えて」現実味を帯びてきたからか? 私は、林に倣いたいと思う。それは、「生活の雑事を大切にすること」だ。そこから見えてくることを大切にしたい。 著作集の読み直しはもちろんのこととして。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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