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まろ0301

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2012.02.27
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2月27日

 

 1933年2月27日の夜、ドイツ国会議事堂が炎上した。現場では、元オランダ共産党員のマリヌス・ファン・デア・ルッベが捕らえられた。ルッベは国会議事堂に火を付ければ革命勢力が立ち上がると考えて放火を行ったと供述している。調査に当たったプロイセン州政治警察局のルドルフ・ディールスもルッベの単独犯行であると見ていた。

 しかしヒトラーやゲーリングはこれを「共産主義者による叛乱の始まり」であるとした。

 その結果、この日のうちに国会と地方の共産党議員および公務員への逮捕命令が出され、共産党系新聞はすべて発行停止となった。3000人以上の共産党員・ドイツ社会民主党員が逮捕・拘束された。

 3月23日「民族および国家の危難を除去するための法律案」(いわゆる全権委任法)が国会に提出され可決される。

 この法律によって政府は立法権を握って国会を無力化する。そして、非常事態を理由として、人権保障を骨抜きにし、ナチスに逆らうものを「公益を害するもの」と断定する。ワイマール憲法は踏みにじられた。

 

 ここに至るまでの過程を概観する。

 ナチスは1932年の二度の国会選挙で最大の得票を得たが、議会においては単独では過半数を獲得することはできなかった。同年11月の選挙でナチスは34議席を失ったが、第一党の地位は保持した。一方ドイツ共産党は11議席を増やし、首都ベルリンでは共産党が投票総数の31%を占めて単独第一党となった。これに脅威を感じた保守派と財界は以後、ナチスへの協力姿勢を強め、途絶えていた財界からナチスへの献金も再開された。

 ゲッべルスは日記に、「我々は経済的に破滅している!」と何度も記している。ナチの選挙戦術は金がかかった。派手なポスター、集会への大衆の動員、各地の演説会への飛行機を利用してのヒトラーの移動・・。

 そこへ助け船を出したのが保守派と財界であった。

 共産党と社会民主党との確執もナチを利した。

 共産党の前身であるスパルタクス団の指導者であったローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトは、第一次大戦が終結して皇帝ヴィルヘルム二世がオランダに亡命して帝政が崩壊したのちに成立した社会民主党を主体とする共和国政府に対して革命蜂起を企図し、共和国政府によって虐殺される。これが共産党と社会民主党がナチの脅威に対して手を組むことを妨げた。1930年の選挙で得た議席数を単純に合計すると共産党と社会民主党の議席はナチを上回っている。しかし、両党は手を握らなかった。

 西欧世界で最大の勢力を誇っていたドイツ共産党が壊滅したことは、コミンテルンの方針転換につながる。1935年の第7回コミンテルン世界大会においてブルガリア共産党の指導者ゲオルギ・ディミトロフによる提唱の後に「人民戦線戦術」は一般化する。フランス・スペインでは社会党と共産党の協力体制が実現し人民戦線内閣が成立する。しかしその後、スペインではフランコの反乱によって内戦が勃発する。

 

 丸山真男は、1956年に「戦争責任論の盲点」という一文を『思想』に寄せている。ここで彼が論じたのは、「共産党が戦争を防ぐことができなかった戦争責任」である。彼はもちろん権力と勇敢に戦った共産党の勇気と献身を讃えている。しかし、その上で彼は以下のように記している。

 「政治的責任は峻厳な結果責任であり、しかもファシズムと帝国主義に関して共産党の立場は一般の大衆とも違って単なる被害者でもなければ、況や傍観者でもなく、まさにもっとも能動的な政治的敵手である。この戦いに敗れたことと日本の戦争突入とはまさか無関係ではあるまい。敗軍の将はたとえ彼自身いかに最後まで踏みとどまったとしても依然として敗軍の将であり、敵の砲撃の予想外の熾烈さやその手口の残忍さや、味方の陣営の裏切りを以て指揮官としての責任を逃れることはできない。戦略と戦術はまさにそうした一切の要素の見通しの上に建てられるはずのものだからである。もしそれを苛酷な要求だというのなら初めから前衛党の看板など掲げぬがよい。...国民に対しては日本政治の指導権をファシズムに明け渡した点につき、隣邦諸国については侵略戦争の防止に失敗した点につき、それぞれ党としての責任を認め、有効な反ファシズムおよび反帝闘争を組織しなかった理由に大胆率直な科学的検討を加えてその結果を公表するのが至当である。共産党が独自の立場から戦争責任を認めることは、社会民主主義者や、自由主義者の共産党に対するコンプレックスを解き、統一戦線の基礎を固める上にも少なからず貢献するであろう」『戦中と戦後の間』丸山真男 みすず書房 

 

 厳しすぎるかもしれない。ただ、私は、共産党に対する丸山の期待をここから読み取りたい。

 国民生活を守る、反戦・平和という点において最後の砦は今も共産党であると思う。

 

 最後に、反ナチ活動を勇敢に進めたマルティン・ニーメラーの言葉を紹介したい。

 我々が、「独裁」という政治形態から逃れることができるとすれば、過去のドイツ国民の愚考を真剣に受け止めるしか方法はないのだ。その事のみが、1929年から1933年のドイツ国民より我々が有利な点である。

 

 ナチが共産主義者を襲った時、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者ではなかったのでなにもしなかった。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分は社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増大したがなおも何事も行わなかった。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間だった。そこで自分は何事かをした。しかしその時にはすでに手遅れであった。

 

 私が念頭に置いているのは橋下の事だ。大阪府民が「公務員を叩いて溜飲を下げる」ことに熱中し、人権が犯されていることに目を向けることがなければ、私たちは再び「いつか来た道」に迷い込む

 他人の人権が犯されているのを傍観し、「いい気味だ」と喝采を送っているようならば、自分の人権が犯されても文句は言えない。そうなってはもう遅いのだ。

 






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Last updated  2012.02.27 12:05:40
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Comments

まろ0301@ Re[1]:「おむすび」から「虎に翼」へ(10/13) maki5417さんへ 歩くことには支障はなく…
maki5417@ Re:「おむすび」から「虎に翼」へ(10/13) 5月の24日に交通事故に遭い左肩と左の大腿…
まろ0301@ Re[1]:入院と退院(08/31) 嫌好法師さんへ とにかく命があった事、…
まろ0301@ Re[1]:入院と退院(08/31) 象さん123さんへ 人生初の交通事故で…
まろ0301@ Re[1]:入院と退院(08/31) つるひめ2004さんへ ありがとうございま…

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