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『海軍将校たちの太平洋戦争』手嶋泰伸 吉川弘文館
最初の方に、「国務大臣単独輔弼制」という言葉が出てきます。これは、帝国憲法第55条第1項「国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」を根拠とした制度で、ポイントは「『各』大臣」にあります。つまり、「内閣で天皇を輔弼するのではなく、『各』大臣が別々に存在してそれぞれ天皇を輔弼すること」(p14)なのです。 著者は、太平洋戦争に突入する前、突入してのち、そして敗戦を迎えるに際しての海軍の行動原理を、「組織利益追求の姿勢」と「政治的行動をとることに自制的であった」という二つの面から明らかにしようとしています。海軍は陸軍に比べて将校の数は五分の一程度であり、艦隊勤務を花形と見る傾向から、政治的な駆け引きや折衝にあたる余裕もなく、その能力も磨かれなかったと著者は指摘したうえで、「なぜ海軍は太平洋戦争に反対できなかったか」を明らかにしていきます。 海軍の仮想敵国はアメリカであり、太平洋上でアメリカと戦う事を主要な任務としています。そのアメリカと戦えないとなると、物資を中心とした予算の配当面で冷遇されることは目に見えています。だから海軍は組織利益を守るためにアメリカとの開戦に対してその引き延ばしを図ることは行っても、徹底して反対することは出来なかったのです。 「ではそもそも誰が諦めれば開戦が決定されるのであろうか?」と著者は問い、以下のように続けます。 「国務大臣単独輔弼制のもと、各省はそれぞれ管掌する業務において排他的で独占的な立案と執行の権限を持っていたのであるから、アメリカとの戦争は、外交交渉を担当する外務省が諦め、太平洋上での軍事作戦に責任を持つ海軍が容認することによって初めて可能となるのであった。外交交渉や太平洋上での軍事作戦を任務としない陸軍は、普段は大きな政治的影響力を発揮していたとはいっても、自らの管掌範囲に関係する問題が生じない限り、海軍や外務省の業務に干渉することはできない」(p54)。 この一文の小見出しは「開戦決定の責任官庁」となっています。 そして、陸軍については、近衛の対米交渉の中で浮上してきた「中国からの撤兵」がなぜできなかったのかについて著者は以下のように記しています。 「陸軍が組織の維持のために中国からの撤兵に反対することは、陸軍が国家よりも陸軍の組織利益を優先していたことを示している。だが、陸軍の側から見れば、陸軍という組織が維持できなくなってしまえば、日本は国防を全うすることができないわけであるから、中国からの撤兵は国家の崩壊につながりかねない問題と映るのであった。・・・これもまたパラドックス的な状況であるが、組織の維持という本来ならば国家の存続とは秤にかけられない問題が、国防への強力な自負を持つがゆえに正当化されてしまうのである。陸軍は当然の主張を展開しているようでありながら、破滅に至る道を選ぶことになるのであった」(p58) 陸海軍ともに組織利益を守ることを国益よりも上におき、国益よりも上においているということにすら気づかなかったという構図が見えてきます。自らの組織の利益を守ることすなわち国益であったという思考回路です。
そして、挙句の果てに海軍は、隊員からの自発的申し出であったかのようにして、特攻を美化し、自らの組織的決定であるという厳然たる事実さえ隠蔽しようとします。 丸山真男は、「超国家主義の論理と心理」で、「ナチスの指導者は今次の戦争について、その起因はともあれ、開戦への決断に関する明白な意識を持っているに違いない。然るに我が国の場合は、これだけの大戦争を起こしながら、我こそ戦争を起こしたという意識がこれまでのところどこにも見当たらないのである」(『現代政治の思想と行動』p24)と記しています。 日本の戦争指導者たちは、最初から最後まで「当事者責任」を感じなかったと言っても言いすぎてはないと思います。 著者は、「敗戦に何を学ぶか」で、官僚制の持つ落とし穴について触れています。官僚制をなくすことは出来ない。そうであれば、我々は官僚制が生み出しかねない状況に常に敏感であり、監督を続け、より高次の価値観を模索することを自らに課さねばならない、と。多くの事を学ばせてもらった本でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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