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ナセルのところで、「アスワンハイダムの建設」を取り上げます。アスワンの位置を確認して、アブシンベル神殿の移設の様子などを図説を使って確認、「ダムは何のために建設したのか?」と訊ねました。当然、「発電」、あるいは「電力を得るため」という答えが返ってきて、「近代化の前提としての電力確保」という筋に持って行こうとしたのですが、これが出てきません。 「洪水予防」、「農業用水の確保」、果ては「失業している人に仕事を与えるため」という答えまで登場、仕方なく脱線。1929年の世界恐慌のあとで、アメリカとドイツで採用された公共事業による失業対策について質問。 「ニューディール」は出てきたのですが、「TVA」にはてこずりました。「T」と「V」までは出てきたのですが、「それやったら『テレビ』やんか」という事で、最後の「A」は補足。 ドイツの場合の「高速道路」は結構すんなり出てきました。「アウトバーン」です。この失業対策の大成功によって、ヒトラー政権はその基盤を固めたという説明もします。つまり、独裁というのは、一方で国民の支持をいかに取り付けるのかという事がカギになるという点です。 さて、本筋に帰って質問を続けるのですが、出ない。結局、「水力発電」という答えを提示する羽目になりました。授業が終わって同僚と話していたら、「ダムというものと発電とを結びつけるのは今の生徒にとっては無理かも」と言われました。うーん…隔世の感があります。 ナセルがバクダッド条約機構から脱退したのをきっかけとしてイギリスはダム建設費用を援助する約束を中止。ナセルはスエズ運河を国有化。それに対して英・仏・イスラエルが密約を結んでエジプトに侵攻。 教科書では、「ナセルは国際世論の力を借りて(英・仏・イスラエルを)撤退に追い込み」(『世界史B』東京書籍 p386)と書いてあるのですが、事実としては、U2偵察機でこの動きを察知したアメリカのアイゼンハワーが激怒して、イギリスに対してIMFからの借款停止、石油の禁輸をちらつかせて撤退に追い込んだというのが真相であることを説明します。 その後、イランのモサデグ首相の石油国有化の挫折、第三次中東戦争でのイスラエルの電撃的勝利によってアラブ民族主義が退潮したというところまで進みました。 民族主義という問題、宗教という問題(スンニ派とシーア派)、国益、さらに石油の問題、中東という地域の複雑さと、そこで暮らす人々のアイデンティティとはなにかについても簡単に触れるのですが、これがまた難しい。『民族とナショナリズム』(ゲルナー 岩波)を図書館から借りました。 現在のイスラム国の問題にまでかかわってくることです。 次回は、ブレトン・ウッズ会議とオイルショック。パックス・ブリタニカから、パックス・アメリカーナへの転換、そして、1968年時点で十分に予想しえた『2001年宇宙の旅』がなぜ実現しなかったのか?なんてことをやります。
次回は、ブレトン・ウッズ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.04.19 21:36:02
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